谷屋で過ごす飛騨の日常(2日目)前回から続く。 天気予報は大雪の予報だったので心配していたが、翌朝は奇跡的に良い天気で、障子越しの爽やかな朝日に包まれて爽やかな気持ちで目が覚めた。2023.01.26 09:39
6月の記憶。6/8富山にて分けていただいた縄文のように見える押紋の9寸皿。十郎さんが飛騨にいた頃に作られた作です。飛騨にいた頃ということは、20年近く前、それからずっと倉庫と店頭を出したりを繰り返していたそうで、値札は当時のままボロボロになっていました。「誰の作だとか、珍しいとかじゃなくて好きなもの選んで使えばいいんだよ。」初老の店主はそう言って笑い「いいもの見せてあげるよ。」と招き入れてくださったご自宅という名の倉庫には、所狭しと無造作に巨匠の若かりし頃の作が置かれていました。帰り際、倉庫にあったものは分けていただける作品もあるんですか?と尋ねたら、「まぁ、売らないってわけじゃないけど‥まぁ、また寄りなよ」と、笑って仰いました。売る売らないの前に、まず関係性。そんなお店が以前はたくさんありました。安く買って高く売る、珍しいものを探し出して市場をつくる‥そんなことがちっぽけに感じるような出逢いがあります。お金は優秀な交換ツール大切ですが、買っているのは物だけではなく、思い出やその瞬間あるいはそれに繋がる見えない物語でもあります。いい時間を買わせていただきました。「もの買ってくる、自分買ってくる」民藝ではそう言いますが、僕らの仕事もたくさんの人々のそのような瞬間に立ち会える稀有な仕事です。やっぱり、この世界に入ってよかった。心からそう思います。このお皿には美味しい刺身を盛りたい。2021.06.23 03:03
地方の誇りと、都会の誇りの話。 SNSを見ていると、都市からやってくるコンサルや、アドバイザーが地方をダメにしたと言う地方側の声や、せっかく一生懸命かかわって良くしようと尽力したのに地方側の理解が得られず成果が出せなかったという都市部側の話をよく目にします。色々な事例がありますし、一概にどちらが悪いとかそういうことではないのですが、どれだけ活動に意義や倫理的に考えて正義だったとしても、多くの人は、それだけでは他者からの意見を受け入れることは出来ません。私たちは普段から相対的な意味での善悪で物事を判断出来てはいません。主観的な善悪の判断をしている事に気がつきにくいのは、所属している集団の中で、同一の倫理観を共有しているので、自分自身が感じているルールが他者にも広く適応されると勘違いしているだけです。アメリカと中国と韓国と日本では『正しさのものさし』が全く異なるように、私とあなたのものさしは当然違いますが、集団の中にいること、そして、集団というものの影響を自分が受けている事に自覚的でないと、自分のルールを無意識に他者に強要する事になってしまいます。スペインの哲学者オルテガは、「私とは、私と私の環境である」と言いましたが、私であることとは環境の影響を相互に与え合うものです。そして、その事に対して自覚的でないと、コミュニケーションのズレが生まれてしまうのです。 都市から来た人に対する反感や、逆に都市部からしたら合理的で革新的な思索が地方で受け入れられないという葛藤の裏には、壮大なロジックや陰謀が隠れているわけではなくて、単純にお互いが異なるコミュニケーションツールで一方的に話を進めた結果、『蔑ろにされた』『軽視された』『バカにされた』という感覚が相手側に産まれるからです。人は誇りを傷つけられた際に強い嫌悪感を感じます。そして、地方と都市部では『誇り』のあり方が正反対といってもいいほど異なる為、うまく折り合いがつかないのです。地方でも都市部でも誇りというものは、自分と周囲の「関係性」を元に構築されます。どちらもある一定の階層に参加することで、他では得られることのできない利潤を得ることが出来るということが、やがて『誇り』と認識されるという点では同じですが、内情は大きく異なります。『横軸の繋がり』を重視する都市部のコミュニティーに比べ、地方では『縦軸の関係性』を重視します。縦軸というの端的に言うと、『時間の価値』ということです。『歴史』『伝統』『家柄』といった過去から引き継いだ存在、つまり『死者』の側に、誇りの根拠を持っているのが地方です。対して、スクラップアンドビルドで成長してきた都市部においては、前時代的な『死者の声』に重きを置くということは難しくなります。その為、今を生きている『生者』との関係性に重きを置きます。地方は関係性の起点を集団の側に置くから『合意形成』の過程に重きを置き、都市では起点を自分の側に置くので 『意見を提案する』事に重きを置くという事です。特に「新しいコミュニティー」においては、非常に『死者や過去の存在』が薄くなります。なぜならそのような集団を維持させている『誇り』の根拠は、『横のつながり』すなわち自身が積み上げてきたキャリアや努力や人脈であって、自力で自己実現を自由に行えることが誇りとつながっているので、出生で差をつける事は、自己の力の及ばない「不条理な差」になってしまうので、避ける傾向があるからです。都市部でも地方でも同じですが、特権階級は、すでに独自の強固なコミュニティーを有しています。特別な人々の集まりのドロドロした感じをドラマや小説で見聞きしている人は多いと思いますが、そういった特権階級と、庶民の階層が交わる機会は、実は都会より地方の方が多く、地方というのは、特権階級と新しいことを志す若者が同じコミュニティーの中で混ざることで、さまざな変化を生み出しています。都市部においての多様性と比べて地方の多様性が、まとまりのないごちゃごちゃとしたものになっているのには、地方ならではの人口が少ないという事情や、情報伝達の遅さも合間って現代まで残ることのできた多様性の形と言えます。そして、困った事に同じ多様性を語る際にも、都市と田舎では主語が大きく違ってしまうのです。都市部の誇りとは、自分がどのように現在の地位を築いてきたかという点が重視されます。いわゆる「あれ俺がやったんだよね」ということが大切なコミュニケーションツールになります。たいして、地方では特権階級と庶民が渾然となったコミュニティーを形成している為、「あれ俺がやったんだよね」とは真逆の、「おかげさまでなんとかやれてます・・」という姿勢が求められます。都市部では「自分で頑張った」という「自力」の「成功体験」を語る力が求められ、地方では「困ったら助けてもらえる人」という「他力」の、いわゆる「人徳」の深さが重視されるのです。 その誇りの違いから、馬鹿にするつもりはないのに相手を傷つけてしまう事態が発生してしまういます。都市部の人は「あれ俺」を語ることで、自分を魅せ、地方で「おかげさまで」と謙遜して、自分では語らず周囲の人が「あいつは偉い奴だ」と評価されている無言の賛辞を通して自分を魅せます。その為、都市部の人からすれば、主体的な言葉や姿勢を持たない地方人と感じられ、地方の人間からすると、自分や周囲のことを蔑ろにして自分語りをしている失礼な人と映ってしまうのです。その違いを是正するのはかなり難しい問題です。なぜならどちらも自分は『普通』だと考えて相手に接しているからです。『郷に入っては郷に従え』と言いますが、常に相手の立場に立って想像して接することこそ、コミュニケーションにおいて求められる最低限のマナーなのだと思います。大切なのは、違いを理解して共栄共存していく方法を考えることでしょう。『木を見て森を見ず』という諺がありますが、木を見る都会的・現代的な見方も、森を見る地方的・歴史的な見方、マクロとミクロの双方の見方が求められるのがこれからの社会ではないでしょうか。自分という存在を考える時に、周囲に頼らず没我に逃げず、関係性という見えない関わり合いの中で、どのように振る舞うかを考える、「永遠の微調整」こそが、真摯な人間のあり方ではないでしょうか。2021.05.01 07:14
忘れるということ。もしかしたら、現代人は「忘れる」事が、とても下手になってしまったのかもしれない。忘れるというのは、「受け入れる」ことと対になる言葉だ。なぁなぁにして、おざなりにすることとは違う。深い意味での「忘れる」は、単純な忘却ではなく、心のあるべき場所に静かに収めるといったニュアンスを含む。10年前のことを「忘れるな」という声を目にするけれど、大切なのは、忘れるor覚えているの対比の話ではないはずだ。失ったものへの想いを他者が推し量ることなど出来ないのだから。日本には古来、殯(もがり)いう風習がありました。もがりには、肉体から去った霊魂を呼び戻し甦りを願う招魂(たまふり)と、亡くなった人を悪霊から守りつつ、その霊を慰める鎮魂(たましずめ)の側面があると云われています。遺体を長期間にわたって殯屋(もがりや)、喪屋(もや)、霊屋(たまや)、阿古屋(あこや)殯宮(もがりのみや)と呼ばれる特別な家屋に安置し、今日では考えられないことだけど、時には白骨化するまでの長い時間、家族などによる儀礼を行ないました。もがりの期間は、時代や亡くなった人の身分などにより、数日から数年の幅があったそうですが、(天武天皇が崩御した際には2年間もがりの儀式を行なったと言われています。)殯屋では、残された家族は外部との接触を断ち、愛する人の死を嘆き悲しみ、歌や舞などで亡骸を慰め、死者に食事を捧げて共に生活したとされています。遺体が無情に変化していく様子を見守ることで、遺族は愛する人の甦りを諦め、その死を確認し、受け入れていったそうです。この葬儀の方法には当時の観念で云うところの悪霊=現代における伝染病のような目に見えない病源を、集団から一定期間遠ざける意味があったのではないかとも言われていますが、失われた風習の多くから、今日の科学では抜け落ちてしまって、語ることが出来なくなってしまった「心」の問題との向き合い方が多く含まれているように感じます。かつて、死別という現実とは、誰かが「語ること」では、解決できないことだと分かっていたからこそ、人は神仏という見えない存在と、時間という見える形で犠牲を払う事で、それを受け入れていく儀礼を行なったのだと思います。もがりを通して、蘇りを諦め、死を確認し、受け入れる。この過程を、ただ一言「忘れる」という言葉でまとめることは出来ません。「忘れるな」という言葉は他者に投げかけるものではなく、自分自身に問う言葉だと思います。現代人は合理的な判断を得た代わりに、個別の事象に対する向き合い方を忘れてしまいました。世界がどれだけ合理的に動いていても、私とあなたの間にあったものは、誰かが合理的に認めたり判断したりするものでは決してないのです。そういう「まるでないようで、でも確かにある」物事との向き合い方は、これから益々求められていく事でしょう。仏教においては「四諦」と言い、諦めることの意味を説きます。またキリスト教では「汝の隣人を愛せよ」と説きますが、どちらの場合も、自身の何もかもを諦めず誰かを愛することは出来ないと思います。東洋思想では「諦め」と読んでいるものを、西洋思想では「諦めない」と読みますが、「積極的に手放す」ということは、何も考えず忘れることではなく、「諦める=明かにして見極める」ことだと思います。その意味で、東西の思想の根幹、人間という生き物は、もう数千年もの間、他者とどう向き合うかについて思案を重ね、様々な社会制度を産み出してきました。信仰という仕組みも、様々な思い通りにならない事をきちんと受け入れる為に考えられた心の薬のようなものだと思います。なんでも単純な二元論に持ち込み、自分は「忘れていない」忘れることは罪だと強い語気で語る言葉を見るたびに思います。「この人たちは忘れるための「もがり」を、もうずっとこうして、続けているんだろうな。」と、諦めることで心おだやかにあらんとする東洋の思想。審判に日を信じ諦めない事を説く西洋の思想。これも二元論で良し悪しを分けることは決して出来ないことです。でもやはり、様々な忘れかたを指南してくれた時代と比べたら、現代は忘れ方を学ぶ場が少なすぎるように思います。僕はきちんと忘れたいです。忘れ去られてもなお残るものが確かにある事を知っているので風土・血筋・家柄・信仰・自然・伝承・・様々な呼び名で呼ばれる膨大な「文脈」は、忘れ去られてもなお積み上がっていきます。そして、今が積み重なる事でしか、過去が受け入れられるということはないのだと思います。僕らは過去の上に家を建て、短すぎる人生を生きています。大切なのは忘れない事ではなく、問い続ける事で、答えがない現実と向き合い続ける事だと思います。2021.03.14 04:05
Donコロナで寂しい思いもたくさんしたけど、行きつけの喫茶店がいつも空いててマスターもご家族もみんな機嫌がいいそれだけで、本当に素晴らしいし、幸せな気分になれるマスターがカウンターに座った常連さんと誰かの悪口を楽しそうにしてるのもいいしお洒落なお姉さんがパフェ食べてたりするのもいいきっとみんなここでは気取らない顔をしてる大きな木陰みたいな場所だなと思った。2021.03.07 06:36
美味しいは嬉しい「美しい」と「美味しい」と同じ意味の言葉だと思います。「美味しい」は「美しい味」と書きます。美味しいと美しいは同じものだというです。(無理やりかな?)ということは、誰かの定義した美しいが、僕自身の美しいの感覚と異なっていても、それは味覚が人それぞれ違うのと同じように、なんら不思議でも不安なことでもないということです。誰と食べるか、どこで食べるか、体調や心のあり様で美味しさは常に揺らぎます。僕はパクチーが大好きですが、別に苦手な人に強要はしませんし、それはきっと普通のことです。好きという気持ちは伝播こそすれど押し付けるものではないはずです。お酒を呑んだ後のカップラーメンが背徳的でやたら美味しかったり、凝りにこった見た目で名前も覚えられないような料理の未知の味に驚き、美味いなぁ…と唸ることもあります。美味しさは、幸せな気持ちを呼び覚まします。それは、その食べ物単品でも、それに付随した文脈の話でもなく、渾然一体とした“あの瞬間のすべて”の総体を思い出して、ただ「美味しかった」と思い出すのです。美味しいということは「心が喜ぶこと」ということです。だったら美しいも同じ、来歴や誰かの評価ではなく、それを見て使って心が喜ぶものが、自分にとっての「美しい」ものなのだと思います。美味しいは嬉しい。美しいも嬉しいんです。2021.02.27 06:26
笑う大人と、泣く子供。鳥肌がたって泣けてきた。この写真集は個人的にすごく胸に響きました。生身の人間が妖怪や怪異を演じることは、田舎の集落に住まわせてもらっている身としては、ごくごく身近なことで、僕自身毎年集落の獅子舞で笛を吹いています。装束を身に纏った僕らは、僕らであって僕らではない「なにか」になっていて、人々は僕らではない「なにか」に拍手を送り、僕らの向こうにある「なにか」の存在に眼を向けています。暗く、おどろおどろしく、怪しい…はたまた、暗く、重々しいものとしての妖や妖怪や神事の写真はこれまでも沢山見てきたけれど、現場の感覚からすると、祭りは厳かでありながら、はっちゃけていて心から大胆になれる緊張と緩和のコントラストが一年でもっと濃い日でもあるわけです。獅子を前にして、子供たちは泣き叫び、大人たちは笑っています。だけど、多くの場合、そのどちらかが抜け落ちている感じがしてしまうのです。宮司さんの正体が、いつもふざけた冗談ばかりを言ってる近所の爺さんでも、祭りの瞬間だけは、本当に心から神聖な姿として感じられます。でも、翌日道端で会った時には、いつもの滑稽な爺さんに戻っています。そこにハッキリとした線引きはありません。ぼんやりとヌメっとしたなにかが、日常に侵入してくるあの感じは、言葉で言い表せません。神事の当事者ではない人はあるいはこの本を見て、残念な気持ちになるだろうと思います。この本の中には幽玄とした幻想の妖怪や神々の姿はありません。あるのは「人の側」に限りなく近い生身の神々の姿です。その姿に鳥肌がたつのです。怖くも暗くもなく、顔半分や下に履いたジャージや長靴が見えているのに、それは確かに人ではない「なにか」なんです。なんて愛おしくて優しい写真なんだろうと心から感じます。この写真を撮影した人は、悪戯に神々を高みや陰鬱とした藪に押し込めることも、賢しく人の側に引き寄せて祭りの後や支度を写すこともなく、ただただ、自然の光の下でシャッターをきっています。まるで、異界が日常であるかのように。不可思議な隣人のポートレートを撮影するように。神々を神聖なものとして崇めることはもちろん大切なことです。でも、僕たちはいつのまにか神々を神事の最中にだけ押し込めて、日常から追い出してしまってはいないだろうか?本当の神々は日常のふとした瞬間に顔を出すチャーミングで悪戯好きな奇妙な隣人のような存在ではなかったのだろうか?僕らは一体いつから怪しげで愛おしいもの達を営みの中から追い出してしまったのだろうか?そして、それらを追い出す時に一緒に人間が本来持っていた滑稽でおおらかで、どうしようもない下世話でダメで、だからこそ愛おしい部分まで、森の奥深く、海の底深く、鬱蒼と茂った鎮守の森の奥深くに閉じ込めてしまったように思えてならない。「だけれど、彼らはいますよ。きっといますとも」そんな言葉を、僕は信じている。そして、僕らの中にもまだギリギリ彼らのような自然な振る舞いが残っていると信じたい。2021.02.23 08:04
ないようであるかもしれない。突然ですが、僕は「伝統」という言葉が苦手です。ついさっきまで生き生きとしていた雑多な風景に、「伝統」の二文字がついた途端、古く厳かで大切に扱わなければいけない雰囲気が足されてしまいます。別に「伝統」だから、いいと思ったわけじゃないのに・・・と、寂しい気持ちになります。苦手な理由は、伝統という言葉が、「伝えて、統べる」と書くからだと思ってます。僕は統べられることも、統べることも苦手です。一丸となることはもちろん大切ですが、僕は「一丸となってバラバラに生きる」というモットーしているので、自分に伝わったものを統べたいとは到底思えません。僕はいい加減で適当な人間で、そんな自分が好きなので、そのような大役は身に余るのです。(誰からも頼まれていませんがw)「伝統」が苦手な僕ですが「伝承」という言葉がとても好きです。なんとなく「伝統」と比べると二軍の感がある伝承ですがl、僕はこの言葉の優しさに強く惹かれます。「伝わったことを、承る」という言葉には、他者に対する受け身の姿勢、謙虚さや畏怖と同時に親しみ易さを感じさせてくれる不思議な余韻があります。僕は、自分自身が苦手とする「傾聴する」ということを実践している人に対して憧れを持っています。お世話になっている明治大学の鞍田せんせは、話しているといつも「うんうん。めっちゃええやん」と言ってニコニコ頷いています。その時の、話を聴いてるの聴いてないのかなんだかよく分からない感じに僕はいつも救われています。一緒に何かを観ていても、「おxお!ほんまや!めっちゃいいやん!」と言うだけで、どこがどういいのかとか、何が良いのか悪いのかについて語らうことはほとんどありません。だけど、確かに同じものを観て、同じように良いなぁと感じ入っている確かな感覚はあるのです。もちろん、全く同じことを感じるなんてことはあり得ませんし、別に求めていません。だけれど、確かに同じ流れのものを「承った」という感覚を共有できている信頼感があります。そういうものが見えないけれど確かにあるんです。さて、最近仲良くさせていただいている人口パーマで精神科医で音楽家の星野概念氏の新刊が発売されました。タイトルは「ないようであるかもしれない。」あぁ、なんて優しい言葉なんだろうと感じ入りました。確か連載時は「ないようである」だったと記憶していますが、「かもしれない」が加わることで、概念さんの人口パーマなお人柄がさらに伝わる言葉になっています。弱さを知っている人にしか紡げないしなやかなで優しい言葉だなと心底救われた気持ちになりました。手元に置いておくだけで気持ちが楽になる気がします。たぶん気のせいだけど、そういうことって案外気のせいじゃないんですよね。世の中には「あるようで実は”ない”こと」が、たくさんあります。そして、多くの人が、そんなあるようで実は実態のないことを求めたり、崇めたり守ろうとしたりして意固地になって苦しんでいます。わかりやすいことには大抵毒(副作用)があります。早く効く薬とか、過度に甘いものとか辛いものとか・・・そういうものは、わかりやすい面しかこちらに見せてこないので、その裏のヤバさには気がつきにくいものです。逆に、「ないようである・・かもしれない」ことは、言葉にすることも、他者に伝えることも困難です。だってパッと見で意味や理由のないように見えているんですから。なにかをはっきりさせないということは、実は優しさだったんだと言うことを僕は最近よく考えています。何かを共有するということには変えがたい意味があるのだと思います。それがたとえ煩わしかったり、まわりくどかったり、面倒なことだったとしてもです。そのことを象徴する個人的なエピソードをひとつ書きたいと思います。 同郷の同級生で、社会に出てから仲良くなった友人Yは、大学時代に勉学が上手くいかず、ふさぎ込むようになっていました。再開した頃、僕はラーメン屋で店長として働いていて、Yはいつも「学校になんて行けなくても、自分の仕事に誇りをもって働いているお前は偉い」と、しきりに口にしていました。僕は僕で、難関大学に合格して、家の仕事を継ぐために資格習得に勤しんでるYのことを心から尊敬していました。塞ぎ込んで持ち前の明るさをどこかに置き忘れてしまっていたYとは、彼が地元に帰ってくるたびに遊ぶような仲になりました。そもそもは共通のポンコツな友人に二人して痛い目に合わされたことで被害者意識?で急速に仲良くなったのですが、その話はおいておきます。「帰ってくるよー。」と連絡があれば落ち合って、カラオケやゲーセンでクイズゲームを何時間もやっていました。でも、ある時からYは二人でいても全然喋れなくなりました。僕はYの実家まで車で迎えに行く時には、到着する30分前に「もうすぐ着くよ。準備できたら降りてきて」とメールを入れてるようになりました。出がけになって「ごめん・・今日はやめとく・・」となることが多くなっていたからです。「今日無理・・」となった時に家の前にいたら気まずいと思い、すぐ行ける距離のコンビニで待機していて、連絡がきたら「ごめんごめん寄り道してちょうど今着くところー」と返信をして、「無理・・・」となったら、「まだ着いてないから気にしないでー」とだけ言って家に帰っていました。運よく家から出てきて車に乗っても、「お疲れさーん」から2、3時間ぼーっと前を見て黙っていることも度々ありました。そんな時、どこに向かうでもなくあてもなく車を走らせて、Yがハッとして「あ、ごめんごめん今日これからどうする?」と言いだすのをただただ待っていました。今思い返してもあの沈黙の時間はなんとも言えない時間でした。時折MIXCDを入れ替えながら彼がここに戻ってくるの待つ時間が、僕はなんだか愉快でたまらなかったのを思い出します。いまでも、あの時意味もなく走った山道や誰も歩いていない商店街を通ると懐かしく思い出します。おかげで彼の家からぐるっと周回するルートを複数覚えることになり、街に出た際に到着時間を調整するのがうまくなりました(笑)あの時のYは確かに助手席にいるのに、まるで、そこにいないようでした。あぁ、きっと妖怪とか幽霊ってこんな感じなんだろうなぁ・・と感じたことを今でも鮮明に覚えています。「そこにいるのに、まるでいないようで、でも確かにいる」僕はそんな存在を乗せて車を走らせていました。 ここだけの話・・・でもないのですが、実は僕はYに対してコンプレックスがありました。中学時代に好きだった子がYのことを好きだと知っていたからです。くっそー!という、ライバル心もありましたが、こちらはいじめられっ子で不登校児、かたやYは当時流行ったスラムダンクで例えると「流川 楓」的なクールな二枚目でおまけに学業も優秀な完璧クソ野郎でした。好きだったあの子とYが付き合ったかどうかは知りませんが、彼は僕からしたら中学カーストの勝者。成功者のシンボルでした。そして、そんな彼が落ち込んで辛そうな時に偶然僕らは再開しました。運命のいたずらですね。塞ぎ込んでいた時期をなんとか乗り越えて、難関の国家資格にギリギリで合格したと電話がかかってきた時、僕は仕事でラーメンを作っていて、スタッフに「店長!早く現場に戻ってください!」とマジ切れされながら、「この電話だけは絶対に出ないとダメだからすまん!」と謝って裏口から外に出て、泣きながら祝福しました。今も書きながら涙ぐんでいます。その年は2011年で、合格したら僕らの結婚式に来れる。不合格ならごめんけど出れない・・・という究極に辛い状況で、しかも自己採点で落ちていると勘違いしていたYに、僕はどう声をかけたらいいかわからないくらい落ち込んでいました。そこからの奇跡の合格です。電話がかかってきたのは深夜で、「この電話に出なかったらあいつ死ぬかも・・・」と思って、恐る恐る電話に出ました。あの時の電話は本当に緊張と緩和がものすごくて、もう、よかったなぁよかったなぁと一緒に泣いて、泣きながら戻った僕を見てスタッフがあんなに泣くなんて大変な不幸があったに違いない・・・と勘違いして、すごく優しくしてくれたことを本当に申し訳なかったなと思い出します。いまでは立派に家業を継いでいるYは、あの時のお返しだ!と、いつもお酒をおごってくれます。「困ったことがあったらなんでも言えよ!」と、そういう彼の姿に僕は力をもらっています。別に特段趣味が合うわけでもないYのことを僕は心からの友達だと思っていますが、それはひとえにあの時の無言のドライブを共有していたからでしょう。あの一見すると不毛なだけの重ねた時間は、「ないようであるかもしれない」確かに存在した時間でした。シングルプレイのクイズゲームを二人でやって、狭い椅子に二人でギュウギュウに座って、交互に答えを入力して押し間違えたと爆笑したり、特定のジャンルのクイズにやたら強いYに対して「こいつ意外とオタクだったんだなぁ」と感心したことを今でも思い出します。多分どちらかが死んだとき思い出すのはあの深夜の無言ドライブとクイズゲームで間違えて打ってしまった答え「ハチミジ」のことなんだろうなと思います。さて、僕とYとの話は伝統にはなり得ませんが、僕はこの話を自分の妻やYの奥さんに伝承しています。いつかYに子供が産まれたら、絶対この話をすると思います。「お前のお父さんだってダメな時があったんだから、お前も大丈夫だよ。」と、そう話すことでしょう。あの時期の話は、とびきりチャーミングな失敗談として、僕とYの特別な時間の話として、僕とYを繋いでいます。それは、僕という存在を語る上で欠かすことのできない「ないようであるかもしれない」大切なエピソードです。・・・概念さんの新書の紹介を書こうと思って筆を持ったのに、気がついたらYとの思い出話になってました!「ないようであるかもしれない」は、ミシマ社から絶賛発売中です!是非ともお買い求めの上、心のお守りがわりに本棚にしのばせてください。読むと、きっと概念さんが好きになりますよ。そして、ダメダメな自分のことだってほんの少し好きになれますよ。2021.02.23 06:26
名前はまだない雨どいをつたう溶けた雪の音が心地よいです。なんてことない日々ですが、なんかとってもいい感じです。そんな暮らしに、無理に名前をつけなくてもいいと思います。人は何にでも名前をつけたがります。名前をつけることで消費することが出来るようになります。名前とはすなわちラベル「商品名」の事です。現代社会に生きていると、どれだけ避けようと思ってもその原理からは逃げられません。諸費をし続けることでしか生きられないのです。僕らは自由=フリーを得る為にお金を稼ぎ、お金を使います。でも、実はそこで得られるフリーは自由ではなく「0」という意味のフリーなのかもしれません。そして、「名前をつけない」という行為も、「名前をつけない」という名前になります。世界はいつの間にか金銭で売り買い出来るものばかりになってしまいました。目には見えない「経験」だってお金を払って得るものです。では、そうすればいいのか。放っておけばいいんです。だって、「わからないままにしておくこと」だって、突き詰めたら「名前」になるんですから。2021.02.20 06:44
消費するということ台所の改修、途中経過です。これまで使っていて剥がしたタイルも再利用します。育った雰囲気はそのままに新しい台所にも、すっと収まります。新しいものはすぐに衰えて、古いものはどんどん美しく育っていきます。そういえば、カール・マルクスは資本論の序文にこう記しています。資本主義的生産様式が支配的な社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品は、その富の要素形態として現れる・・・身の回りに溢れる商品=サービスというものは、富=幸福の形態として現れているということですが、言い換えれば、物を買うことで得られる幸福は「消費」とは切り離せないということです。今回の台所もまだまだ使えるものを廃して、新しいしつらえに作りかえているわけで、それは消費的行動の一種です。いたずらに消費を避けるのではなく、いたずらに長く使えることを賛美するわけでもなく、時代に即した有り方で、ものを愛で育てていきたいものです。ふと気がつけば、買い足した綺麗なものから手放して、拾ってきたようなものを大切に飾って暮らしてますが、今はそれが僕らにとってのちょうどいい中庸な暮らしと呼べるのかもしれません。2021.02.20 03:53
色のついた影溶けた雪の上に、うっすらと雪が降り積もりました。朝です。朝の光が雪に反射して、家の奥まで明るく照らします。それは、まるで人の心の奥までも照らすようで、実はほんの少し苦手です。だけど、光にはいつも影が付き添います。透明なガラスは本当は透明じゃありません。透明に見える心にも、ほんの少しの色や質感があって、それが影となって映ります。他人が見ているのは、そんな写り込んだ影の方なんだと、時々そう考えたりします。自然の光は、不自然な影を作らず、透き通った空気をそのまま運んでくれます。”白い雪”と言いますが、実際には複雑な色をしています。その機微な違いを見逃したくないなと思ったりします。そういえば子供の頃は雪がもっとキラキラとして見えたものですが、最近はずいぶん違って見えていましたが、最近、息子を見ていて、その違いは目線の高さの違いなのかもしれないと思いました。試しに、鼻に当たるくらい近づいてみたら雪は今も昔と変わらず、キラキラと輝いていました。いつのまには見失っていて、それを失ったと勘違いしてるものがここにもあったことに気がつきました。こうして背伸びをせず、その瞬間の美しさに心打たれるまま生きられたらなと、そう思うこの頃です。2021.02.17 03:51