体系と構造。その1

やり甲斐とは一体なんだろう?

ふと、そんなことを考えた。

自分の少ない経験から考察するにやり甲斐とは誰かに適正に評価され、必要とされることだ。考えてみたら当たり前のことだけど。


家族だって、恋人だって、暮らす場所だって、趣味だって、誰かや何かと対話的にやり取りをすることで初めてやりがいを感じられる。

要はキャッチボールが上手く出来ている感じが好ましいということだ。


気を使うこともなく、手を抜くことなく、素直な気持ちでボールが相手との間を行き来している時に、人は身の丈にあったやりがいを感じられるのだと思う。


相互のバランスがとれているから満たされるというのは、何もやりがいに限ったことではないだろう。

他者と交わる時には常に同じことが言える。

生きることは、ちょうどいいバランスの関係性の中でこそ幸福な循環を生み出すのだと思う。


そのように考えると、集落に暮らし毎日家の近くで働くことが経済活動と社会活動の両方の側面を兼ね揃えていた昔の日本は、貧しくとも幸福だったのではないかと思うようになった。


例えば機械化以前の農業では、田畑を維持する為には人力に頼らざるを得ず、結果として現代のように個人が閉じて生きることは難しく、家や村として一つの共同体として生きることを基本としていました。


頼母子講や結といった共同支援の仕組みは、クラウドファンディングを狭い範囲の人々で回しているようなイメージで、現代のものさしで測ってみても決して古いやり方ではありません。

社会構造は、長い時間をかけて個々の村々が生き残る為に産み出してきた地域固有の仕組みでした。

個人が現代ほど自由でない代わりに、小さな村や家族単位の集団で生き抜く力は、今よりも強く有していたのが村社会の構造だったのです。


そして、少なくとも戦後まで、日本の農村部においては、個人=私と、社会=公共は良いバランスを保っていました。

旧来の営みには、抑圧的な側面がありましたが、それを言い出したら現代社会の抑圧は過去のそれをはるかに超えた厳しさがあります。


一例を挙げると、昔の人は、忘れられることが出来ました。

村を出て、名前を変え、渡世人として生きていくことも、どこかで新しい世帯を持つことも

借金を踏み倒すことも現代より遥かに容易でした。


それに、昔の方が人々は競争的に生きていたという側面もあります。

侍の時代から、家臣に謀反を起こされれば殿様であっても国を追われることがありました。

江戸時代の庄屋では血筋より能力が優先され、才覚ある番頭が店の主人になることもありました。


その点で、現代と比べて封建的だと思われがちな昔の日本ですが、実際のところ本質的には、現代もあまり変わりないという考え方もできます。

現代と異っているのは、評価基準が学歴や能力中心ではなく、人柄や人徳といった周囲からの評価、社会とうまく付き合える能力の有無の方に偏っていたことでしょう。

それは、ある意味でフェアだなと思うのは僕だけでしょうか?


当時求められた能力は、所得や産まれに左右されにくいタイプのものでした。

その意味で、かつての営みを調べれば調べるほど、今日を生きる我々はなぜこのような生き方を放棄したのか?そう思わざるを得ないのです。


多くの人々が貧しくとも暗く不幸に生きていなかったのは、生きること働くことがそのまま地域社会や国の為になっているという実感を持てていたからでしょう。

それは、社会というものが今日のように地球環境全体を差すような大きなものではなく

手の届く程の狭い範囲であったことにも要因があるように思います。


僕らの暮らす現代社会は、例えるなら大きすぎる豪華客船のようなものです。

それも何十年も考えられたプランで作られた、乗客が増え続け、燃料は無限に得られることを前提として作られたオーバースペックな客船です。

それが、作られて数十年を経て、今やメンテナンスは滞り空室だらけで、おまけに大きすぎて燃料を大量に必要とするので維持することもままなりません。

経済成長という目に見える豊かさを手にした代わりに、目に見えない部分で失ったものははるかに大きいのです。


かつての日本は、今日、ブラック企業を叩くような感じで村社会の不当さを叩きました。

そして、新しい働き方である会社組織=サラリーマンという生き方を日本の近代のモデルとして受け入れてきました。

そんな会社組織の根底にあるのは終身雇用・年功序列・労働組合ですが


終身雇用=お年寄りは子守や草鞋を編んで生涯働く

労働組合=問題が起こったら村の寄り合いで相談して解決する

年功序列=若い衆は年長者を敬う


このように考えると日本の会社は旧来の村社会とそんなに変わらない構造を有したままで今日まで続いているのです。

そうしてサラリーマンが当たり前の生き方になって半世紀が過ぎました。現代ではどうでしょう?

サラリーマン的に働いていることで、生き甲斐や、やり甲斐や、社会貢献を感じることがどれほどあるでしょう?かつて村社会の封建的な様に憤った人々が作り出したものは、いまや封建的な組織となりさがってしまいました。かつて万能だと信じられた仕組みは、バブル期までは、歪ながらもバランスを保てていました。

それまで仲間内の小さな約束事だった将来の保障を、終身雇用や年金制度という国の定めた仕組みで保障することで、人々は安心して目先のことに集中することができるようになりました。

それは、個人と会社という共同体とその上にある国家の思惑の三つの関係がうまくいっていたことを意味します。

平成になり、昭和までの村社会を悪しき習慣として壊した我々は、今、会社組織を平成の悪しき習慣として壊そうとしています。

では、令和のこれからはどんな働き方を推し進めるというのでしょう?それを考えるために「体系」と「構造」の違いについて少し考えてみたいと思います。


その2に続く。


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