観光地とテーマパーク。


大きな重機を使い穴を掘る。そこに水源から水を引き込めば、大きな「池」を作ることができる。僕の暮らす町の真ん中には今、大きな池がある。

 新しく綺麗な池の周りには、カフェやお土産屋さんが整然と立ち並ぶ、広々とした公園には青々とした芝生がひかれ、吹く風は心地よく、周囲はどこまでも明るい。来訪者は都市部にはない自然と、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。しかし、そこがほんのすこし前まで鬱蒼と茂った鎮守の森と、ごちゃごちゃと無秩序に商店が並ぶ狭い路地だったということを来訪者は知らない。

真新しく美しい景色は、どこまでも豊かな「自然」として感じられる。整備された駅前の広場、アーケード商店街。お洒落なカフェ、それらは昔からそこにあったような顔をしてそこに存在しているが、それらの多くはごく最近作られたもので昔からそこにあったものではない。それは、作られ観光地という名の「テーマパーク」なのである。

1:テーマパーク化する観光地


 観光地のテーマパーク化はいつ始まったのか。それをずっと考えてきた。色々と調べてみるに間違いなくその現象が始まったのが最近ではなく、そもそもにおいて観光業を含むサービス業の最大の成功例=ゴールがテーマパークなのではないか?と言うことに行き着いた。その意味で、サービス業へ舵を取った瞬間から、不自然な自然化=テーマパーク化は始まっている。観光地とテーマパーク、この二つについて比較してみよう。


・優れたテーマパークでは、いつ訪れても一定の質のサービスが受けられる。多国語対応、マイノリティーに対する献身的なサポート、情報はデータで管理、共有されていて、園内を歩けばあちこちで誕生日を祝ってくれる。キャラクターの着ぐるみ達はどんな時でもいつも笑顔で元気満々。満面笑顔のキャストは仕事に誇りを持って働いているのがよくわかるし、決して十分ではない給料に(表向きは)不満を言わず楽しそうに働いている。


・優れた観光地では、いつ訪れても一定の質のサービスが受けられる。多国語対応、マイノリティーに対する献身的なサポート、顔を覚えてくれているので街を歩けばあちこちで誕生日を祝ってくれる。出迎えてくれる宿のお爺ちゃんとお婆ちゃんはどんな時でもいつも笑顔で元気満々。満面笑顔の町の人は土地に誇りを持って働いているのがよくわかるし、十分ではない給料に(表向きは)不満を言わず楽しそうに働いている。

どうでしょう?素晴らしい観光地ではないだろうか?あるいは観光地の部分を、宿業に変えてもいい。概ねサービス業はこれが当てはまる。

しかし、ここに落とし穴がある。上記の文書で違和感を感じた人もいると思う。テーマパークと観光地の違い、それは、最後の部分、不満を言わず楽しそうに「働いている」という部分だ。観光地にあってテーマパークにはないもの、それは「暮らし」である。来訪者は、まさかこのテーマパークに「暮らしている人」がいるなどとは微塵も思いもしない。それは、逆の立場で考えれば、我々が「夢の国」に来訪した時と全く同じ感覚だ。観光公害とい呼ばれる様々な問題についてもこれで理解が深まるように思う。

テーマパークの園内では、ゴミ箱は知らない間に綺麗になる、食べ残しもポイ捨てされたゴミも従業員が掃除して魔法のように消え失せる。不貞な輩がいれば警備員に締め出されるし、(お金さえあれば)どんなアトラクションにも自由に入る権利を「入場者」は、持っている。(実際は細かなルールが課せらているが、そのように感じられる。)

長いトンネルをいくつも超えて、駅を降りた瞬間、あるいは車やバスから降りた瞬間、ゲートをくぐった来訪者の眼には、我々の「暮らす町」は、「観光地:飛騨高山」というテーマパークとして認知される。我々が日々暮らす町は、来訪者にとっては、良くできた「テーマパーク」なのだ。

「ちょっと考えればわかるだろ?」と住人が来訪者に「常識」を問う時、来訪者=入場者は従業員(本当は住人)に対して「それは、施設側の問題でしょ?企業努力が足りない」そう憤っているのだ。観光地がテーマパーク的なものとして捉えられているとしたら、「高い入場料」や、かかった「旅費」に対して「見合った価値を請求する」というのは、消費者として当然の行動だろう。しかし、ここで認識がずれている点はただ一つ。この町が「テーマパーク」であると同時に「人々が暮らす場所」である。ということだけである。

 我々が平時口にしている「飛騨高山」という「田舎町」のイメージは、随分と過去のまま時が止まっているように思う。それは別に悪いことではないが、今日ではそれがズレてしまっている。それに気がつかないからこそ起こっている問題は多い。例えるなら施設が老朽化して従業員の教育レベルも昭和のまま止まっているテーマパークのようなものだ。子供騙しは出来たとしても「一流」のテーマパークを望む人の期待には添えていないのだ。

かつて、飛騨高山という風光明媚な田舎町に訪れた来訪者が感じたのは「人々が脈々と住み繋いできた、ひなびた田舎町」であっただろう、それは、旅情や過ぎし日を懐かしむ慕情を誘うものであった。そして山道を超え、たどり着いたひなびた町で、その不便さと、非効率な出来事があっても、暮らす人にとっては当たり前の貧しさであったし、来訪者にとっても「まぁしょがない・・こんな田舎なんだから・・・」と、受け入れられるものだった。

しかし、現代ではこんな田舎町であっても、雰囲気がいいことは基本で、さらに「最低限、便利で快適に過ごせること」が求められている。その意味で、求められるのは美しく過酷な本物の体験ではない、それによく似た「快適なアトラクション」なのだ。

かつての飛騨は、今日のような「観光地」ではなかった。粗末で、それでいて懐かしい活気の溢れた町。そんな場所は日本からは失われてしまった。今日、それらの風景、営みが残るのはベトナムやカンボジア、あるいはインドといった国々の人里離れた集落に残るくらいだろう。そして、それと同じような感覚で、「忘れがたき故郷」飛騨に訪れる人々が多くいたのだ。

飛騨高山という山奥の秘境は、山越えの中継地点としての役割と、あるいはこの街で行われる競りへ参加する行商の人々、そういった人々が集う「交易の交差点」でもあった。

しかし、戦後の経済発展で交易の便がよくなると、中継地の存在は不要となっていった。そこからは不遇の時代が続いた、貧しかった故、家々は昔の姿を留めた。伝統や文化を守ろうとした人達も確かにいただろうけれど、多くの場合、やむを得ない事情で新しく作り変えることが出来ず、町並みは「古く」なっていったのだ

しかし、起死回生の瞬間が訪れる。高度経済成長期は、もともとあった町並みや自然を次々と整地して、新しい街を作り出していった、その時代、「豊かさ」とは「新しさ」だった。そして熱狂が冷め、生活が落ち着いた頃、集団就職や都市部の急速な発展の陰で失われた「人々が脈々と住み繋いできたひなびた田舎町」が、飛騨の山奥に今も残っていることに注目が集まる。それは、経済成長の代償に失った「忘れがたき故郷」として、望郷への憧れであった。今も若いバックパッカーは海外の貧困地区への旅をする。それは失ってしまったことへの消失感を埋めようとする本能に近い行動だろう。あるいは旅行会社の巧みな広告戦略かもしれないが、何れにせよ。それらの貧しい国々と同様に、「古い町並み」は、作られたのではない。取り残され残された「一週遅れのトップランナー」だった。

 観光ブームの波に乗り、人々が慎ましく生活してきた貧しくひなびた町は、景観や文化を水源として、滞在型の観光地へと姿を変えていった。増える需要に答えるべく、様々な住人が働き方を変えた。「民宿」や「定食屋」や「日用品店」が、街並みに溢れた。 まだ観光地化されていない海外と同じように、初期の観光については、来訪者が求める「本物の暮らし」「本物の街並み」へと繋がる、便利な交通網を新たに引くことだけでよかった。

不便は誰でも嫌だ。しかも、これまで見えなかった貧富の差は、近代になるほど可視化され、比べることでこの町は確実に豊かになった。しかし、その結果、これまでのひなびた慕情を好いていた人を遠ざけ、そして観光や旅館に憧れた人が訪れる観光地になり、その後、観光がポピュラーになるにつれ比較され高いレベルを求められるようになる。そして、気が付いた時にはすっかり観光地と言う名のテーマパークとなり、当時の面影はすっかり無くなっていた。各地の観光地が特色を発揮し始めたバブル頃、特色といっても絢爛豪華を競うようなものであったが、ここでも飛騨はその貧しさと立地条件で「一週遅れ」をキープできた。全てが一新されなかった故に残った街並み。生活の場と観光地という二つの側面を持った小さな街は今日になってかつてないほど大きな変化の波に晒されている。インバウンドの高まりで、国内ではなく国外からの来訪者を呼び込むことが可能になったことで、マーケットは大きな拡大を見せている。そして、日本人にとって便利で快適だった観光地飛騨高山は、世界に通用する観光地を目指して邁進している。それはつまり、わかりやすく、親切で、気軽で質の高い時間を経験できる場所を目指すということだ。僕はそれをテーマパークと呼ぶ。

いまや我々はおもてなしという演目の演技を「魅せている」つもりになって、賞賛の口コミにご満悦だ、しかし、観客はお金を払って動物園でパンダを見るように、我々のことを「観ている」のだ。テーマパークと生活の場が混合された時、様々な問題が発生するのは想像に硬い。それはテーマパーク内で、列に並ばない人、ゴミをポイ捨てする人、立ち入り禁止エリアを通って移動する人、無断駐車や、アトラクションで悪ふざけをする人を見ても、「園の人に言えば警備員がきて対処してくれるでしょ?」としか思わないのと同じ状況だ。そういう経験が誰にもあるのではないだろうか?そして、そのようなことを若い頃にしてしまった。という人もいるだろう。

そういう来訪者=入場者は、観光地においてもテーマパークと同様に「お金を払ったんだからいいでしょ?」「そもそもちゃんとわかるように看板をつけていない施設側が悪い」という「権利」を主張する。それは決して特別な悪行ではない、誰もが犯しりうる行為だ。

例えばコンビニで、或いは銀行でや大型ショッピングセンターで、店員の態度や不親切な表示に腹を立てた経験は誰にでもあるだろう。我々が「お客様」として、施設側に「当然の権利」を主張するのと同じように、来訪者は我々に誠意ある対応を求めてくる。

「それなりの対価を払ってるんだ!受け入れるのであればきちんとした対応をすべきだ!」そう彼らは言ってくる。こちらは「いやいや我々はここで生活しているんだ。その点を配慮してもらいたい。」そう言っている。テーマパークだと思って遊びに来ている人と、テーマパークの一部となった街に暮らす人々。妥協点はどこにあるのだろう?


 テーマパークについて、さらに考えてみたい。まず、テーマパークには「本物」が存在しない。というより存在してはいけない。ネズミのマスコットは可愛らしいが、本物のネズミが出たら大パニックだ。本物は存在してはいけないのだ。

園内にあるものは一定の方向から見栄え良く見えるように適正に配置されている。裏から見たらハリボテであることに気がつかないですむのは、園内が完全にゾーニングされており、それに対しての違和感を感じさせない仕組みが徹底的に施されているからだ。

「本物」が存在しないことは徹底されている。従業員は人間なので、本来は夢の国からは浮いてしまう現実的な存在だが、彼らを「キャスト(出演者)」と呼ぶことで、働く側も、それを観る側もそれを「演技=キャラクター化」だと認識した上で、世界観に没頭出来ている。観光地において(地元に)「誇りを持って働く」という要件を満たすためにも、実は同じことが求められる。質が高く、ホスピタリティー精神に溢れ、機智に富んだ接客を望み、さらにそれに見合った給料を払うことは、並大抵のことではない。国内には世界中からの来園者を満足させられるテーマパークが国内でいくつあるだろうか?

本物が不在で、それが感じられないように徹底されているという点で、建物にも同様の要素が課せられている。お化け屋敷は実際の廃墟とは異なるし、お城も本当の城ではない。大きな湖も、何かを似せて作られた溜め池に過ぎない。園内のすべては、どれだけ本物に似せていても決して本物ではないし、どれだけ時間がたっても本物にはならない。求められるのは可愛いネズミのマスコットで、本物のネズミではないのだ。

ところで、観光公害が問題になってきたのは、何も近年インバウンドが盛んになったからではない、もうずっと前から街が観光地になることで、暮らす場所を追われたり、それまでの暮らしぶりが代わり職を失う人はいた。しかし、貧しさから豊かさへと邁進する日本では、そのようなことは大きな問題とされなかった。都市部に出れば仕事はいくらでもあったし、様々な要因が重なって、田舎町はもぬけのからになり、結果としてひなびた町は残された(保存された)。過去において、この町は、その立地条件で秘境、例えるなら「山頂の自販機」と同義の価値を持っていたことだろう。僻地であったことは、不利な条件のように思えるが、実はそればかりでもなかった。来る人が限られるからこそ、「こんなところにわざわざ・・」そう、心からもてなすことが出来た。そして、来訪者も、そんな貧しい土地での最大限の心ばかりのおもてなしに心打たれたのである。故意に作らなくとも古い町並みが残されていて、そこには昔と変わらない営みを続ける人がいた。来訪者にとって、それは天然のテーマパークだっだのだ。日本人が海外に行くのとなんら変わりのない動機で、飛騨高山は観光地として脚光をあびていた。

しかし、便利になった現代で、同様のもてなしを、日帰り旅行のできる場所でおこなれたらどう感じるだろう?インドの路地裏で出会ったカレーは、それまでのひどい経験や、費やした時間もあいまって特別な価値を産んでいる。だけど、同じものを隣町で食べて同様の感動を抱けるだろうか?あるいはB級グルメは、その街で食べるから美味しいものであって、デパートの催事で食べるのはなにか物足りなく感じられるだろう。「お祭り」とは一種の偶像であって、現実ではない幻のようなものである。「催事」のような夢の中だから、それは価値を持つことができる、この町に他地域のB級グルメが店をだしたら、なんでここにあるんだろう?と、そう思うだろう。旅人がたくさん来れるようにと利便性を高めた事で、あんなに特別だった体験は、他の多くのサービスと比較して価値をはかられるものになった。

日帰りで行ける範囲の都市や他の観光地と比べられるようになった現代において、「独自のサービスや価値を提供しなさい。」という言葉には「最低限のサービス」を満たすことが、暗黙の了解で含まれている。スーパーやコンビニに毎日品切れすることなく商品が並ぶのが当たり前のように、それが出来ないことは怠慢だと捉えられる。皆が貧しく、皆が笑顔の時代は確かに存在した。その時代の最低限のサービスと現代の過剰なサービスの最低限には雲泥の差がある。求められる「独自のサービスや価値」と言うものも、奇抜で突飛なものではなく、コンビニのように多数の人々に受け入れられるものを意味している。そして、その要件を満たしたモノからは「地域性」や「独自のサービス」は失われていることがほとんどだ。どこかでデザインされてどこかで製造された土産物を、この土地のデザイナーがデザインしてこの土地で作ったモノに変えても、どこかで見たようなモノしか出来上がらないのにはそのような理由がある。多くの人が手に取りやすいものを作れば、それはすなわち馴染みのあるコンビニやデパートに並ぶようなデザインや品質を意味する。その時点で「本物」ではないデフォルメされたモノが産まれてしまう。それは、何も悪いことではないが、これからをこれまでと変えていきたいと思うのであれば、それは少し違うような気がする。

観光地をテーマパークへと向かわせているのは、何も行政や大きな枠組みによる政策ではない、個人の所業の累積が、様々な要因が重なり合って今日の観光地は出来上がったのだ。豊かさを追い求めた100年を超え、我々はこの先の100年を考えなければいけない。


2:池と泉。


 テーマパークには、作られた人工の自然と環境しか存在しない、それは、本物に似せて作られた偽物、つまり「偶像」です。冒頭に書いたように大きな「池」人口の自然を作り、その周辺に豊かな場所を作って人が集う場所を作ろうと考えた時、一番必要なのその池に引き込む水、川や泉のような「水源」です。しかし、一番大切なそれについて意識する人は、実は、あまり多くありません。豊かな自然の源泉はどこからともなくやってきて、それは決して枯渇することはない。そう固く信じられているからです。それは、我々がすぐ裏の里山や脇を流れる川のことのことなど、まるで意識しないで日常生活を続けられていることと似ています。実際は、それらの自然に不具合が発生したら慌てふためきますが、その瞬間まで自分たちの生活を支えるものについて無頓着でいられるほど、今の日本は豊かです。

「テーマパーク」は作られた自然なので、近年の観光地もまた「作られた自然」と置き換えて考えることが出来ます、観光の「水源」は、「伝統・文化・歴史」あたりでしょう。そのいずれも初めからあったものではなく、先人達の気の遠くなるような営みの果てに、湧き出した「泉」です。人々は気軽に伝統や文化と口にしますが、それは、実際の泉と同様に、山林の手入れが滞れば、あるいは多くの人が訪れる事で周囲の土が踏み固められれば、ここではない遠いところで空気が汚染され、海が汚染されば枯渇するような大きなものです。そして、どこかの段階で流れが途絶えたら潤沢な泉の澄んだ水は枯渇します。しかし、それに気を向ける人は少ないのは、個々が与えている影響が限りなく小さいからでしょう。自分一人くらい不正をしてもバレないよ。みんなやってることだから。という時の「みんな」は、「みんな持ってるから買ってよ!」と子供が駄駄を捏ねる時の「みんな」と同じくらいあてにならないものですが、無限にも思える資源を自らの手で、かつてない勢いで消費しながらも、その資源への循環を意識している人は少ないのです。

同様に、人工的に作られた「池」は、どれだけ時間を経ても決して湧き出す「泉」になる事はありません。それはテーマパークや作られた観光地も同じです。いかに引き入れる水量や水質が優れていても、池の底には必ず泥が沈殿します。それを排出する工夫がなされていなければ、やがては取り返しのつかないことのなりますが、それまでには数年、あるいは数十年かかるので、後回しにしているうちに手遅れとなることがほとんどです。

かつての人々が作った自然は、良くも悪くもやがて朽ちて本物の自然に溶け込むようなものできました。それは、それらを構成してる素材が、木や土や蔓や石や皮で、それらは土に戻り、循環の一部となることが確約されてる素材ものだからです。そして、それらを使って作られる環境は整備するのに莫大な時間を有しました。

いささか逆説的ではありますが、長い時間をかけて作られたものは、早く自然へと戻る傾向があります。しかし、現代のように「即席」で「丈夫な素材」で作られる環境は、自然と朽ちる事なく、ただただ汚れていきます。そして、先ほどとは正反対に、短い時間で作られたものは、長くも残り続けます。利便性と時間短縮を重視して作られたものは、我々の手元に届くまでに様々な不自然な経緯を経てます。その為、自ずと自然に馴染まず、やがては汚れて醜態を晒すことになります。

そうして作られる物事は、最新家電と同じようなものです。直すより買ったほうが安く、常に最新のものの方が経済的。車やスマホを買い替えるように、常に最新のものに変えられるのは便利ですが、実はそれらは、幸福を確約はしてくれません。なぜかといえば、我々人間は、常に新しいままでいる事など出来ないことを知っているし、出来るなら経年で美しさを増すような生き方をしたい。そう願っているからです。

いくつになっても若々しいのは良いことですが、それは内面の話です。例えば、樹木希林さんを素敵だなと感じる時、美しさを感じるのは外見ではないでしょう。見た目が変わらない、朽ちないと言う事は、逆説的には「あなたも買い替えが効きますよ。」というのと同じです。それは、幸せには結びつかないのです。あなたは綺麗だけど、もっと綺麗な若い子がいるよ。そう言われる可能性があれば、誰でも安心出来ないでしょう。

それでは、最初は貧しく美しかった町が、歳をとることを忘れ、池が汚れて沼のようになってしまったらどうすればいいのでしょう?それは、実際の沼を綺麗にするプロセスと同じになるでしょう。綺麗にするためには一度、流れ込む水を止めて、全ての水を抜かなくてはなりません、そして、これまで目を背けてきた沈殿物と向き合うことことを求められます。腐敗臭を放ち、捨てる場所も容易には見つからない泥こそが、観ないようにため込んできた現実なのです。

しかし、そこまでして沼を綺麗にするよりは、家電を買い替えるように違う土地に場所を移し、同じように新しい池を掘る方が何倍も効率的です。ノウハウは次の場所で活かせますし、今度は今回より早く安全に作る事ができます。そうすればコストが減るので今回より稼ぐことができます。万々歳!!そこに残された沼とその周りで暮らす人々の暮らしを除いては・・・

残念ながら、そのような切り捨てを繰り返しながら発展してきたのが、今日の現実だと思います。放置されたスキー場の跡地、ペンション、道の駅。バブル期に建てられて、ただゆっくりと朽ちながら、景観や環境に影響を与え続けています。池は決して泉にはなりません。なるとしても作った時間の数十倍の時間を要します。そして、それは気が遠くなるような日々となることでしょう。それにはナウシカの腐海のように数世代を要することでしょう。

廃棄されたテーマパークや沼を再建するのが事実上無理なように、夢のように輝いていた町は、打ち捨てられ、いつまでも腐らない廃墟となります。人々が暮らす街を作るならまだしも、観光地という名のテーマパークを作る時に、わざわざコストと時間のかかる本物の素材を使う人はほとんどいません。メンテナンスとコストと工期を考えたら、木ではなくモルタルやコンクリでそれらしい「アトラクション」をつくり、それらの使用期限が続くまで使用したら、すぐ取り壊して、最新のアトラクションを打ち出し続けるしか道はないのです。

それは、僕らが普段「どうせ長く使わないから」と100均で細々したものを買い揃えるのと同じ感覚です。普段使いには、ホウロウや竹籠よりプラスチックのタッパーの方がいいに決まってます。それを同じ感覚で、この町のあちらこちらに陳腐なアトラクションが増えていくのです。「どこかに悪の親玉がいて我々を陥れようとしている」という事はほとんどの場合無く、純粋な人が、純粋な気持ちで始める事で町の価値は下がっていくのです。

どこかに諸悪の原因があって、それを取り除けば症状が良くなる。と言うのは西洋医学の発想、外科手術です。しかし、末期癌が転移していて手の施しようがない状態では治療の術がないように、末期の観光地を救う特効薬はまだありません。東洋医学では「養生」と言って、悪くなってから治すのではなく、悪くならないように整えることを大切にします。それでもそうなってしまったら、それまでを反省し、これ以上悪くならないように努める。これからの日本にはそのような考え方が必要になるでしょう

・・・なんて、偉そうに書きましたが、こんなことは数百年。いや数千年前から言われていることです。

・過去に囚われてはいけない、未来を待つだけでもいけない、ただ、この瞬間に集中すること。

・急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。

・十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。だからといって十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。

仏陀・キリスト・孔子の言葉ですが、こんな当たり前のことを忘れるのが人間です。僕らが立ち返るべきは貧しかった戦後や、豊かになりかけた70年代ではなく、もっと前、上記のような精神性ではないでしょうか?それは、便利さを捨てて過去へ立ち返ると言う意味ではなく、多くの庶民が当たり前のように上記のような考えもち、行動する未来を作ることです。それは、遥か昔の偉人ですら成し遂げられなかった偉業です。しかし、そこへ向かう以外我々に道はないでしょう。

さて、脱線したので本線に戻りますが、今、僕らの暮らすテーマパークのような町には「愛らしいネズミのマスコット」「薄汚れた本物のネズミ」が混在しています。おそらく、このままいくと、本物のネズミの居場所は、この町から消え去る事でしょう。そうなった時、この町は観光地として完成し、多くの人々の郷里としての役割を終えます。

熊や鹿も神聖であったかつての姿はついに忘れられ愛らしいマスコットとなり、畏怖の源となった「力強さ」は「檻の中」に閉じ込められ忘れ去られます。

そして、この話は何も動物にだけ当てはまるものではありません、人間もまた動物と同じように「キャラクター化」され、テーマパークの「キャスト」となり、個々の違いや持ち味を持つことは許されなくなります。動物たちから牙が抜かれたように、人々の暮らしも規範化されるのです。決められた役割を演じることでしか生きられない場所で、暮らていきしたい人がどれくらいいるでしょう?テーマパークがどれだけ好きでも、そこに住める人はいないでょう。毎日がパレードでは疲れてしまうことでしょう。


3:井戸を囲むように暮らす。


 近代の営みの根底になっている「貨幣」と言う価値感は、短期的な「キャッシュ=預金」と、それを引き出してやりくりする「フロー」で成り立っています。おろしたお金を増やして、銀行に預け続けない限り資金はすぐに底をつきます。そして「ストック」は「信頼」のような目には見えない資産をさし、それを「担保」とすることで、またお金を借りることで資金のやりくりが出来るのです。

多くの場合、というよりもほとんどの場合「地域の魅力」というキャッシュをお金に変える為には「水」に色をつけて詰めて売るような方法がとられます。それは、水饅頭を作ったり、ビールを作ったり、景観として利用したり、染物をしたり・・利用方法は様々ですが、いずれも潤沢な水の存在を利用します。ですので、使用した後に、再度、森に水を戻す事まで設計しなければ、いずれも「池」のような不自然なものを作り、やがて沼を作る事につながってしまいます。常に「新しい水=新鮮な文化や伝統」が入ってくるうちは綺麗だけど、たくさん人が取り合えば潤沢な水量もすぐに底をつきますし、排水と循環の方法が甘ければ、水はすぐに濁り始めます。循環を前提とせず、綺麗な水を使い尽くし、汚水として垂れ流せば、巡り巡って山を汚染し結果として水を汚すのです。
このように水の循環で考えてみると、ストックを作らない、というのは循環を止めること=信頼を生み出さない。ということをさします。

その為、「水=地域の資源・資産」をうまく使うのであれば「池」という固定された大きなものを作るのではなく「井戸」のように小さく限定的に関係性を生み出すものが望ましいです。小さな井戸では短期間で大きな信頼を得ることは出来ませんが、時間を重ねることで厚みを出していくことは可能です。それこそが、循環の環境に負荷をかけない、自然と「共生」する大きさの営みであるように思います。

そういった見方で、周囲を見回してみると、いいアイデアや取り組みというものは、大規模な工事で池を掘って水を外部から引き込んだところにではなく、「水脈」を探し当て、地道に「井戸」を掘るように作られた場所に多いように思えます。

一見地味だけど、なるほど確かにうまく資源を活用していて、長い目で見て地に足がついているなぁ。と感じさせる取り組みは、井戸水のように澄んでいて、池というよりは泉に近い感覚を与えてくれます。

「浅井戸」は、表層の有限の地下資源を利用しているのでやがて枯れますが、「深井戸」は見えない地下を流れる川のような水脈にまで掘り進んでいるので、長い間、水を得る事が出来ます。もちろん循環を阻害すれば枯れるのは同じですが、井戸の場合、大きさや用途の制約も相まって無謀で急激な変化を及ぼす事が少ないので、沼化のリスクは少なくなるでしょう。

その代わりに、表層に近い水脈の浅井戸を作りすぎると、水源を枯渇させ、地盤沈下のリスクがあります。そうならないようにする為には、地道な調査と環境に負荷をかけない仕組みが不可欠です。井戸は周囲に営みを生み出す人口の泉です。池もかつてはそうだったでしょう。しかし、今や池の水に頼った生活をおくるイメージは非常につきづらいです。そのようにして、生活の実感から離れた所から沼化は進みます。そして、それが観光地化するとテーマパーク化へと繋がるのです。

近頃、会社を大きくして、地域に貢献して、然るべきタイミングで循環型へと移行する!そんな志で小さな会社を立ち上げる人が多くいます。しかし、その会社が池を作るような大きな夢を語るものであるなら注意が必要です。

「この戦争から帰ったら、結婚しよう。」

映画やアニメで、このセリフを口にした人物は、ほぼ100%帰って来ません。

「長い間待たせてごめん。また急に仕事が入った。いつも一緒にいられなくて、淋しい思いをさせたね」というセリフを言う相手と付き合っていても、行き着く先は「愛してる。でもまさかね。そんなこと言えない」ということになるだけです。たとえどれだけその人の前で素直になれても、本当の気持ちは言えない。これは、キロロの名曲ですが、全く同じ事が、街づくりやコミュニティ作りにおいても言えると思います。ずるずる続く付き合いはいつの時代でも変わらないです。やがて泥沼化するのです。

「井戸」や「泉」のようなものを作る=ストックと循環に対して意識的であり続けることは、長い忍耐を要します。素材にこだわり、信念を持って提供し続けたとして、周囲がテーマパークであるならば、そのイメージ(相場・質感)に合わないものは、決して受け入れられません。勘違いされがちですが「本物」を使えばそれが高く売れる訳ではないのです。無計画に素材を良いものにするのはとても簡単なことです。しかし、それを通して適正な価値を作り、お客様や良いものを作る人々と、循環する関係を築くことは容易なことではありません。ポーランドの社会学者バウマン、曰く

・偶像の周囲に生まれるコミュニティは、出来合いの、即席のコミュニティにして、すぐに消費に供されるが、使用後は丸ごと捨てられる。長期間にわたって、ゆっくりと入念に建設を進めることが必要なコミュニティでもない。未来を確かなものにする為に地道な努力を重ねることが必要なコミュニティでもない。お祭り気分で楽しく消費される限りは、偶像中心のコミュニティは「本物」と、区別することが難しい。しかしこちらは、本物に比べて、不快な「しつこさ」も、差し出がましさもないことを売り物にしている。

「偶像」とは、神に似せて作られた偽物です。僕らが「本物」だと思って祀っている「それ」は、本当に本物なのでしょうか?そのことをいつも意識しないといけません。しかも、気付かず偶像を据えた瞬間、その周囲には「出来合いで即席のもの」が産まれてしまうのです。

本物の神(自然)を中心にではなく、それとよく似た「偶像」(テーマパーク)を中心に据えた途端、その周りにあるものは出来合いの即席的なものとなります。しかもそれがお祭り的に消費されるうちは、偶像と本物との区別が非常に付きにくいというのは、今日のローカルや観光地の問題とよく似ています。

それは、本人がどれだけ気をつけていても吸ってしまう空気のようなもので、知らず知らず影響を受けてしまうものでもあります。バウマンの言うように、「偽物」はしつこさや差し出がましさがないことを売りにしてきます。簡単にいってしまえば「わかりやすいこと」「すっきりと整頓されていること」は、どこか怪しいと思った方がいいです。

それは詐欺の手口と似ています。「まさか?でもあり得るかもしれない・・・」そういうギリギリのところをつくのが詐欺の手口です。儲け話や誰かの為になりそうな話には気をつけなければいけません。その人はいい人でも、その人が作った偶像がとんでもないものを育ててしまうこともあり得るのです。

もし、あなたが「本物」を探したいと思うのであれば、「しつこさ」と「差し出がましさ」が隠せず表に出てしまっている場所や人の元を訪れるといいでしょう。良くも悪くもそこには本物の人間がいるはずです。(老舗の食堂や場末の呑み屋や、何を売っているかわからない商店等に散見されます。)

そのような場所に一歩踏み入れると、外に立っていた手を振る可愛いネズミとは似ても似つかない、醜悪を匂わせる本物のネズミがいる事でしょう。しかし、その不快感こそが、かつてそこに人々が暮らしていた頃の唯一のなごりなのです。それは今やテーマパークのバックヤードに追いやられた日陰の存在ですが、そういった存在を日本人はよく知っています。

社会の影でひっそりと息を潜める存在。争いに破れ、祀られることもなく彷徨う存在を、我々の先祖は「もののけ」「妖怪」「神・仏」あるいは「祖先」と呼んで、祀ってきたのです。


4:見えないものと暮らす町


 テーマパークからもっとも遠く、泉や井戸のようなものを中心にした町。それを一言で言うならば「見えないものが住める町」と言えるのではないだろうか。「見えないもの」とは、つまり「社会的弱者」のことです。子供や老人、障害がある人、現代だとそこに「意識高い系ではない普通の市民」や「LGBTの人々」も含まれるかもしれません。町の「普通」は、普遍的ではなく、時代応じて変化しています。その変化に取り残された人々が弱者なので、我々も、いや、全ての暮らす人が弱者となり得るのです。なぜなら、我々は皆、子供という弱者に産まれて、老人という弱者になることを運命付けられているのですから。

「もののけ」「妖怪」「神・仏」あるいは「祖先」が、今も生き生きと町のあちらこちらに暮らしている場所では、子供も老人も皆明るく暮らしていくことができます。テーマパークと生活の場を融合することの一つの解決策がそこにあるように思えます。

現代においては「妖怪」ですら、かつての薄汚れた醜悪な影は持っていません、彼らもまた「笑顔で手を振るマスコットの着ぐるみ」の中に押し込まれてしまっています。まずは、そこに影を与えることが必要ではないでしょうか。そう言った見えないことに意識を傾けることが出来たら、我々の日常が、決して、割り切れる分かりやすいものだけで構築されている訳ではない。ということ当たり前のことにたちもどるキッカケにもなるでしょう。

妖怪や自然災害等「身近な闇」を失った我々は、今日、物の怪や自然災害すらも服従させる力を持った「人間の心の闇」に恐怖しています。かつて、無慈悲になんの理由もなく人の命を奪っていったのは、「自然災害」や、あるいは「熊」や「猛毒」でした。そう言った明確な理由なく奪われた命に対する鎮魂として、人は「数多の見えない存在」を創り出してきました。大切な人の死には、何かの理由のあり、何かの為の尊い犠牲だったのだ。そう思えるように長い時間をかけて脈々と語り継がれてきたものが神話なのです。

しかし、今はもうそんな恐ろしい「神」や「物の怪」はどこにもいません。「神らしいもの」は、すでに人間が可愛い着ぐるみの中に閉じ込めて「偶像」としてしまいました。今、恐れられるのは川の化身の竜ではなく、正体不明の人型のナニカ、つまりカオナシなのです。我々が恐怖する対象は、見えないものから、今、隣に座っている名も知らぬ「他人」の心の中と言見えないものへの恐怖へと変わったのです。

個人的な理由で無差別に人を殺す者。言いがかりで煽り運転をする者。そんな事件を起こす人こそが、かつて我々の祖先を恐れさせた「大切な人」を「何の理由なく殺める者」の、現代の姿なのです。

それが自然や神であれば、その不条理さに対して納得することも出来たでしょう、それすら長い時間を要しましたが、自然は厳しくも優しく、恵と災いをどちらも運んでくるものです。だからこそ、尊い犠牲はこの日の幸の為だったのだ。そう感じることができました。「占い」「神頼み」「お祈り」といった様々な呪術的作法は、魂の傷を時間をかけて治していく為の作法でした。相手が見えないから、声が聞こえないから、信じ、祈ることができました。

しかし、現代の恐れの対象は自分と同じ「人間」です。言葉が通じ、言っていることが分かる分、理解できない時にはどのように受け入れたらいいのだろう?皆目見当もつかなくなったことで、心理学や社会学が脚光を浴びたのが近代です。しかし、ニュースのコメンテーターがいくらそれらしいことを並べても、それが被害者の慰めにはならないのです。「近代社会の歪み」に殺されたと言われ、それをどう受け入れればいいのでしょう。事件の原因を「世代」「教育」「政治」といった様々なところに見つけたところで、いつ身に降りかかるか予想もつかない厄災を何とか払いのける儀礼とはなり得ません。解決すべき「社会課題」は、あまりに大きすぎて、神頼みや普段の生活を丁寧に行うことで払いのけることができないのです。

自然災害あるいは動物が理性ではなく本能で人殺め、そこに理由など初めからないからこそ、物語という名の「神話」を挿入することが出来た。本当はないと分かっているから、誰も「答え」や「理に叶った説明」は求めなかった。しかし、今度の相手は人間だ。同じ人間だから理解できてしまう、そしてそうだからこそ、どんな理由を並べられても決して納得はできないのだ。

このような状況に対する対処法は、実はすでに存在している。人が人を理由なく殺める。それ自体は何も最近になって現れたことではない、太古から数多く存在してきた。それでは過去の人々はそれをどう理解し、乗り越えてきたのだろう?

それは、その悪行を行なったのがその人間・個人の意思ではなく、それを操っているのは、背後の闇、すなわち「悪霊」や「もののけ」が取り憑いた仕業である。そう理解することだった。

不可解な事件に関して、霊の存在を理由とするのは、化学全盛期の現代でも生き残っています。非科学的と笑われそうですが、これは素晴らしいことです。つまり、日本人はまだ、暗闇への恐怖を持てていると言うことです。精神分析で犯罪予備群にあらかじめ対処をしようというのが西洋的な価値観ですが、日本人はこの、どこまでも二つに分けることで分析、仕分けをして、カテゴリーを定めると言う方法があまり得意ではありません。

日本は欧米に比べて、階級による住み分けがなされていないので、当てはめるべき「型」のパターンが多様です。その為、特定の層を指して問題の原因を探る。と言う方法に関して得意ではないです。これについては稿を改めるとして、いまや機能不全に陥っているコミュニティを元の正常な状態に戻す方法は、問題の原因を探るのではなく、見えないものの存在を身近に感じられる生活空間を取り戻すことしかないと思います。

見えないもの。とは、何も霊や神だけを指すのではありません。地域の文化や伝統や自然資源も、また、目には見えているようで、実際には見え難いものなのです。

街角や枕元に妖怪がいて、神社や祠には神々がいて、先祖の行きた歴史を感じられる。裏山の奥には人が踏み入れてはいけない聖域があって熊や鹿や猪が悠久の時を生きている。先祖の霊は毎年盆に帰ってきて、仏壇やお墓からいつも見守ってくれる。

別に本当に見えなくてもいいんです、それこそ VRで見えるようにするとかでも構いません。人々がそういった見えない存在を信じて、安易に偶像を据えることをやめられたらそれでいいのです。

今日においては、見えないものとの共生こそが、目指すべき「当たり前の暮らし」なのでは、ないでしょうか?勘違いされがちですが丁寧さと不便さは異なります。持たないことに執着すれば、今度は(持たないことへの執着)に縛られます。こうしよう!と硬く決めることで人は縛られます。しかし、人間はそもそも自然の一部です。怒り狂ったり、悲しみにくれたり、わけもなく優しくふるまったり、孤独になることもあっていいはずです。そして、そんな振る舞いを悪天候と同じようにいなしてくれる友人や家族がそばにいてくれること、それこそが何よりの幸福なのではないでしょうか。

すでにテーマパークとなった街で、我々に許される振る舞いは少ないです。最初にすべきことは、そんなテーマパークにかすかに残る「本物」バウマンの言うところの「しつこさ・差し出がましさ」を持った人や場所を見つけ出すことです。どれだけ気をつけていても人は知らず知らずのうちに偶像に手を伸ばしてしまいます。わかりやすく目を引くそれの誘惑は甘美なものです。しかし、そのわかりやすさが生み出すものは、「出来合いの即席的なもの」つまり、テーマパーク的なものなのです。

そこから逃げることは容易ではありません。人はいつでも信じるに足るものに価値を見出し、それにすがろうとします。「信じる者」と書いて「儲ける」と読みますが、つまりはそう言うことです。無批判に無自覚に信じることから離れて、一体何を信じ、どうなりたいのかについて熟考することが我々には求められます。

幸いにして、振り返れば先人達の知恵が累々と積み重なっています。すぐに効果ふが出て副作用のない薬等、どこにもありません。時間をかけて森を戻すように、新しい価値は時間をかけて育むことで産み出され、さらに育むことで成長して、やがて大きな木になることで、周囲になくなってしまった自然を呼び戻せるようになることでしょう。随分と遠回りですが、その地味な道しか、我々の目の前にはないのです。


1コメント

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  • hakusanosi

    2019.09.22 17:14

    飛騨高山のミニマルモデルである郡上八幡も近頃テーマパーク化してきているようだ。 観光立市などというスローガンを市長は掲げているが、それは、それ以外にはもう地域の外貨獲得手段が見出せないという悲鳴に等い。 一昔前の暮らしがつづいてるかのような郡上八幡の魅力も、町屋の多くは空家となり、そこに新たな外貨獲得のための施設がリニューアルされていく。 都市というものがドーナッツ現象でその中心部から暮らしが無くなっていくのと同様に地方の観光都市も同じような現象で非生活空間となっていくのは仕方がないことかも。 1990年頃、イギリス出身のaran boothという紀行作家が名古屋から徒歩で五箇山まで歩いたことを書いた著書『飛騨白川郷~失われゆく風景を探して』では、著者が郡上八幡を発見した時の感動が記述されていたが、もし彼が今日また郡上八幡を訪れたらきっとその変貌ぶりに落胆し、テーマパークを通り過ぎでしまうであろう。 失われゆく風景は、その失われゆく過程が儚く美しいのであり、いづれは喪失されてしてしまう運命であることを意味している。 旅人の醍醐味はその空気に触れることであり、そしてそこを後にすることだと思う。 先人たちがこの土地でどのように暮らしてきたか、一度立ち止まってよく考えることが必要ですね。