みんなの森。

みんなの森・岐阜メディアコスモスへ尋ねてきました。

まるで、森の中にいるようでした。

「静かにしなさい」という命令調の雰囲気ではなく、緩やかな連携の雰囲気と、それぞれに居場所がきちんと用意されていて、自然と静かでいられる空間が広がっていました。それは、山にいる時に感じるそれに近い感覚でした。「多様性」というものを受け入れる箱があるとしたら、このような形になるのではないかな。そう感じました。

以前から建築やランドスケープデザインに興味がありますが、個人の住む「イエ」と「マチ」は、きってもきれない関係性でつながれています。いつからから、それを感じづらくなっています。先日の「すぐそばの工芸」でも触れたのですが、「よい街というのは、服をまとうのと同じように、街という皮膚をまとっている感覚になれる街だと思う」これは、哲学者の鞍田崇さんの言葉ですが、まさしくそのような感覚がこれからの街作りには求められているように思います。みんなの森・岐阜メディアコスモスを設計したのは、建築家の伊東豊雄さん。僕の敬愛すろ建築家の一人です。伊東さんとは以前一度お話を身近で聴かせていたく機会に恵まれました。それも飛騨の日下部民藝館でのことでした。吉島家住宅の記念イベントで公演をされたのち、お隣の日下部民藝館で懇親会がおこなれた際のことです。せっかくの機会だから若い人達で伊東先生のお話を聞きなさい。ということで、車座になって伊東さんのお話をお聞かせいただいたのですが、伊東さんは建築の精緻な話はほとんどされず、こう言ったのです。

「僕の話なんかより、この民藝館に並べられている器を見たかい?それらの方が何倍も為になる。よし、みんなで見に行こう!」

僕は、その言葉にとても救われたような気がしました。こういうことを想える人だから、この人の作るものがすきなんだな。とそう心から思ったのです。そして、民藝も建築も同じなんだなと改め考えるきっかけともなりました。

伊東さんの建築といえば「せんだいメディアテーク」や「台中国家歌劇院 」最近では松本市の「信毎メディアガーデン」等がありますが、僕は東北震災後、宮城県仙台市の仮設住宅地に作られた「みんなの家」がもっとも好きな建築です。



この建築は一見すると、なんの変哲もない家です。被災し非難している住民が必要としていることを聞いていたら「縁側が欲しい」「気軽に集まれる場所」がほしい、そういった声が多く寄せられたそうです。そのような声に耳を傾けて作られた「みんなの家」は、建築の本質にまっすぐに向き合った姿だと僕は思います。

この家について伊東さんはこう応えられています。

「小さくてもいい。目的なんかなくてもただそこに集まれる場所だから、わかりやすい名前がいい。そう考えたら『みんなの家』になった。説明すると『ああ、コミュニティーハウスのことですね』って言われる。ちょっと違うよなあって思う。でも、建築家がコミュニティーという言葉をやたら使ってきたんですね。大学の建築学科でも、コミュニティーをこういう形で作りますと言い、そのコンセプトはいいねえなんて言葉が飛び交っている。これじゃ建築家が建築家のために作っているようなもので、論理だけが空転している。こんなことばっかりやってたから、町を再建しようという時に、被災地から建築家にお呼びがかからなくなったんです。情けないですよね。恥ずかしいことでもある。でも自業自得というところもありますね」

論理だけが空転していて、誰のための建築がわからない。同じようなことが様々なところで問題視されているのが近代であるように思います。

快適さや便利さによって失うものがあるのです。そのことに耳をすますことが今求められているように思います。

派手なことをやるのは簡単です。反応はすぐに返ってきます。でも、簡単なこと、平凡なことをやり続けるのは実はとても困難なことです。建築もまだ同様だなと思います。


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