四冊目【クマともりとひと】
【クマともりとひと】
著者:森山まり子
出版社:合同出版
日本熊森協会会長の森山さんは小・中学校の理科の教員でした。ある日、生徒のひとりが自主勉強帖に綴った、ツキノワグマが絶滅の危機に瀕しているという新聞記事とその記事に関する生徒の感想が森山さんの心をうちます。「可哀想に…でも保護活動なんて自分には出来ない。きっとどこかで誰かだやってくれているだろ。」しかし、現実は森山さんの想像とはおおきく異なりました。勇み足の彼女の背中を押したのは生徒達でした。「先生、これはクマだけの問題とちがう。ぼくらの問題でもあるんや~いまの自然破壊見てたらぼくら寿命まで生きられへんてはっきりわかるねん。ぼくら寿命まで生き残りたいねん。」
森山さんと生徒達の思いは、やがて学校を巻き込み、さらには日本を動かすおおきな運動へと成長していきます。
とても優しく書かれた本で、子どもから大人まで読めると思います。普段、僕ら大人はは近い将来がディストピアになるだろうと笑って話します。マッドマックスや北斗の拳を娯楽としてみています。なぜ我々はそう楽観視できるのかといえば、どこかで自分の死後の世界について他人事だからでしょう。しかし、今の世に生を受けた子どもたちにとってそれは自分たちの人生の終盤に訪れる危機そのものです。そのことにもっとおおくの大人が気がつけば日本はまだ立ち直ることが出来るのではないかと思います。
一年中青々とした森を遠目に見て、「自然が豊かだな」とおおくの人が口にします。しかし、おおくの場合その森は戦後人工的に作られた針葉樹の森で、人が手を入れることのなくなり放置された森は、足を踏み入れると過密に植えられた樹木は高く高く成長して、暗く冷たく生命を感じられない、そんな森です。
森と人の関係は、戦後がらっと変わりました。それまで人々は山を「里山」「奥山」と呼び、自然や野生動物と棲み分ける生き方を少し前までしていました。その頃と比べると野生動物は激減しています。それは戦後国策として「奥山」つまり楢やブナの巨木の残る原生林から木を切り出し、さらにその森に松や杉といった成長の早い樹木を植林していったことが原因です。それまで野生動物の楽園であった奥山に、林道をつけ、ダムを作り、スキー場やキャンプ場を作り、高速道路を通すことで、日本は経済大国として成長してきました。クマや鹿や猪は昔より数を減らしているのに、なぜ人里へ出てくるのか。それは広葉樹の森であった奥山を人が壊し、彼らの食べるものも身を隠す場所もない人工林を広げた為です。あの青々と茂る一見豊かに見える森には、彼らの食べるのものはほとんどないのです。居場所がなくなり人里に出てくる彼らを人間は害獣として駆除します、しかし本来彼らは敵ではありません。金太郎や桃太郎に出てくるように彼らは人間の友人であった。ほんの少し前まではそうだったんです。変わったのは彼らでなく我々であり、また彼らと共生する方法を我々は過去に学ぶことが出来るんです。いま我々に必要なのは野生動物が里に下りてこなくても森で暮らせるように、どんぐりや柿といった彼らの食料となる木々を植えていくことです。そうすることで彼らとの棲み分けを復活させなければいけません。それは「里山」と「奥山」という棲み分けの復活に他なりません。
なぜ、クマをはじめとした野生動物を保護しなければいけないのか?それは森の生態系を守る為です。ではなぜ森を守らなければいけないのか?答えはたくさんありますがその中でもっとも重要なのが「水」です。森でも問題を都市部では感じられにくいと思いますが、著水力の乏しい針葉樹林は、土砂崩れや地すべりといった災害を起こします。林道や高速道路は多くがもともと奥山だった場所をとっています。その道が閉ざされることでおおきな経済的打撃が出ます。そして、都市部の生命線であるダムに土砂が流れ込めばダムとして機能しなくなります。山での問題は他人事ではないのです水の循環を止めることは、川の性質を変えることを意味し、やがて海にも影響が出始めます。
クマを守ることが我々の未来を守ることになる。そんなことを昔の人は感覚で分かってたのでしょう、だから足るを知ることを教え、森ではけっして採り尽くすことをしなかった。
我々は豊かさの意味を問い直す折り返し地点にいるのかもしれません。
「わしらクマさんが棲んどりなさる、あの森から、水をもらって生きてきた。」
日々が子々孫々続く為に、経済成長よりもっとたいせつなことが身近にあるんじゃないかと僕は思います。
0コメント