三冊目【風が帰る場所】

【風が帰る場所 ~ナウシカから千尋までの軌跡~】

著者:宮崎駿

出版社:ロッキン・オン


ロッキン・オンの渋谷陽一さんが宮崎さんと交わしたインタビューを全編ノーカットで収録した本。内容は編集されていない為、重複する箇所も多くけして読みやすくはないけれど、宮崎さんのことを推論したり哲学を分析する本が多い中、宮崎さんの生の言葉を読めるのはありがたかった。

インタビューしている渋谷陽一さんの、わざとやってるとしか思えないような質問は、人によってはつまらないとか、内容が薄くて下世話だと批評されそうだけど、そういうしょうもないこともまた世間一般の関心事や声であり、それを代弁してのインタビューであると思うので、宮崎さんをぎりぎり怒らせないような渋谷さんと宮崎さんの関係性が透けて見えて面白いなと思いました。

長期間にわたるインタビューなので、宮崎さんの言っていることが食い違ったり、矛盾している箇所があるのもとても面白い部分です。そう思っててもできなかったことや、そうありたいと思ってたけど違ってきたことなんて、誰にでもあることだし、それが魅力であるはずだと僕は思います。こういうインタビューに対して、数十年にわたって変わらないポリシーの話しか聞き出せないとしたら、そのインタビューは無意味なものだと思います。一見おおきく変わっているようで、根底にあるメタ的な部分では変わっていないのが宮崎さんの作品の特徴で、その駄目さ故にこれまでの作品群があるように思います。

宮崎さんはわかりすぎるくらいわかっているから、たとえば「東京の暮らしなんてやめて田舎で貧しく豊かに暮らすんだ!それがユートピアだ!」っということをけして言わない。作品で結果的にはそう言ってるんだけど、そうなんですよね?と言われたら、そうじゃない!というと思う。その気持ちがよくわかる。「これが正しい」ということは結局「それ以外は間違いだ」ということに直結してしまう。そういう仕組みのなかに自分を置いてしまったら、あとは消費的に扱われることを、戦争の現実を見てきた宮崎さんは知ってる。だから正しいといわない。わがままを装いながら本当はとことん優しい。千と千尋の「かまじい」やラピュタの「ドーラ」のような優しさは日本人にはよく理解できる種類の優しさなように思う。

そういう意味で紅の豚の「マルコ」は宮崎駿自身が色濃く投影されてるように思う。マルコのように、過去を背負いながらもその過去(軍国主義)から距離を置き、賞金稼ぎ(諸費的な生き方)としてアドリア海で自由と放埓の日々を送るポルコは、見た目どおり怠惰な暮らしをしているけれど、周りとの関係性(フィオとの出会い)で世間の表舞台(裏社会だけど)に出なければいけなくなり、「しょうがねぇな」といいながらまんざらでもなく、向かうからには勝ちにいくが、最後までセオリーは曲げない。そして最後には過去との呪い(自分自身がかけた制約)を解いて人間に戻るのだけど、宮崎駿はこの本の中でポルコのその後について「あの豚は、十日くらい経つとなにもなかったような顔してね、飯食いにくるんですよ。」と語っている。宮崎駿もまた、そういう人なのだ。そこがいいのだと僕は思う。

それは、「こんな大量社会は今後駄目になるよ」といいながらも、その時代を生きなければいけない子どもたちに対して、自分達の責任を省みることもせず、他人事のように「君達はかわいそうだね」と言ってしまうか、それでも「生まれてきてよかったんだ」と言おうと、もがくかの違いであり、宮崎さんはいろんなこどもたちに対して「うまれてきてよかったんだ」というメッセージを届ける為に作品を作り続けているように思えてなりません。

そして、そのメッセージは、これから生まれてくる子供たちにだけむけられたものではなく、なによりも宮崎駿自身に向けてのメッセージだと思います。

宮崎さんが他者を批判するとき「なんであいつはわからないんだ」ということが多く、それはその人の否定というよりは、その人の育ってきた社会環境そのものへの憤りのようで、さらにそれをなんともできない自分自身に対する苛立ちのようにも聞こえます。単に人が嫌いならそのような言い方はしないですし、鈴木さんや高畑さんと長い間連れ添ってやってくることなんて出来なかったと思います。なんだかんだいって宮崎さんは、わかってないあいつらに「うまれてきてよかったんだ」と伝えるためにアニメを作っているように思えてなりません。

本の中で「みんながトトロを書くと似ないんです」という話があった。「みんなトトロの眼をどこか見ているような眼で書いているからで、本当はどこを見てるかわからない、焦点のあってないような感じに神聖さが出るんだ。相手の気持ちをおもんばかるのは自分たちでもできるんだから、とにかく呆然とそこにいて安心させてほしい、馬鹿なんだか賢いんだか、たぶんその両方で、そういう愚かなものが賢いのもに通じているという考え方は、不思議な土俗的な日本の思想だと思う。」という話だったのだけど、こういった細かな解説をつい宮崎作品には求めてしまいがちだけど、そんなこといちいちわからなくてもいいうようにも思う。大切なのはそういうことを徹底的にこだわって作っていて、それを必要以上に語らないようにしていること、そして日本人がその作品に惹かれ、繰り返し繰り返しジブリ作品を観ているという事実が、宮崎駿が本当はなにを考えているかより何倍も面白いことで、僕らはどこか家庭料理的な味わいをジブリ作品から感じているのだけど、それが実はきわめて商業的で消費的な世界で作られているというギャップの面白さであり、消費と生産というかみ合わないと思われているふたつの世界を、ジブリはやってのけているという興味深い事実がそこにあるだけだと僕は思っています。

観ようによってはいろいろなメッセージがあるという作品は実は多くありません。エヴァや君の名は、のような作品もメッセージは意外と簡単に読み解けます。だからこそジブリ作品の精度の深さは群を抜いていて、それゆえ子どもたちが夢中になるんだと思います。それは商業的に成功してる仮面ライダーやプリキュアとは違った意味で子どもたちに訴えかけるものがあるからのだと、この本を読んであらためて思いました。


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