美味しいは嬉しい

「美しい」と「美味しい」と同じ意味の言葉だと思います。

「美味しい」は「美しい味」と書きます。美味しいと美しいは同じものだというです。(無理やりかな?)ということは、誰かの定義した美しいが、僕自身の美しいの感覚と異なっていても、それは味覚が人それぞれ違うのと同じように、なんら不思議でも不安なことでもないということです。

誰と食べるか、どこで食べるか、体調や心のあり様で美味しさは常に揺らぎます。

僕はパクチーが大好きですが、別に苦手な人に強要はしませんし、それはきっと普通のことです。好きという気持ちは伝播こそすれど押し付けるものではないはずです。

お酒を呑んだ後のカップラーメンが背徳的でやたら美味しかったり、凝りにこった見た目で名前も覚えられないような料理の未知の味に驚き、美味いなぁ…と唸ることもあります。

美味しさは、幸せな気持ちを呼び覚まします。それは、その食べ物単品でも、それに付随した文脈の話でもなく、渾然一体とした“あの瞬間のすべて”の総体を思い出して、ただ「美味しかった」と思い出すのです。

美味しいということは「心が喜ぶこと」ということです。だったら美しいも同じ、来歴や誰かの評価ではなく、それを見て使って心が喜ぶものが、自分にとっての「美しい」ものなのだと思います。

美味しいは嬉しい。

美しいも嬉しいんです。

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