たどりつかないことの自由
冒頭の一文を読んで、読み終わるまでお店のことは調べないでおこう。そう思った。
”すべての雑貨”は、ページを開いたその日に半分ほど読み進めていたのに、毎年頭を抱えているこの季節の恒例行事である確定申告やらなんやらで時間が取れず、読み終えるのに半月もかかってしまった。
その間に、仕事で東京に行き、数日間滞在していた。上京するのは1年ぶりだった。最終日、帰りのバスまで時間があいたので、若い友人と待ち合わせをした。彼女が指定したのは西荻窪の駅前で、お洒落なパスタ屋さんのリンクが添えられていた。彼女を待つ間、あてもなく街を歩いた。西荻窪に来たのは3年ぶりくらいだろうか?ファミリーマートの前のアーケードには、今も空間に対して大きすぎる象がぶらさがっていた。象は3年前と比べてファンシーな印象のものに変わっていた。
前回も歩いた道をあてもなく歩いた。3年前立ち寄った店の多くは時短営業になっていて午前10時前に入ることは叶わなかったが、ふと以前調べたちいさな街の書店のことを思い出して駅前へ戻った。しゃれた古本屋やセレクト書店と違い、いかにも街の書店といった風情のそのお店は朝9時からしっかりとお店のシャッターを開けていた。
店頭に積まれた週刊誌と女性誌のコーナーを抜けると、その日の前日に訪ねた大きな大きな都会の本屋には並んでいなかった探していた地味な本が、平積みになって並べられているのに気がついた。
僕はそれがとても嬉しくて、他にも普段あまり選ばないような本を数冊手にとってレジに並んだ。会計の際に「クレジットカードのポイントがずいぶんたくさんたまっていますがお使いになられますか?」と声をかけられた。そんな事を言われたことがなかったので反射的に「お願いします。」と伝えた。スキャンに手こずるレジのお姉さんは「かしこました」と、手元ではスキャンがうまくいかない本と格闘しながら、少し顔をあげて笑顔で答えた。
帰り際、『西荻窪の本』という特集コーナーに目が止まった。面出しで並べられたおしゃれなお店を紹介する旅行本に数冊目を通して、『なくなってほしくない名店』という、いかにも好きそうな本を手に取った。自分好みの寂れた名店を様々な著名人が思い出と共に紹介していた。だけど、この本を読んでその店を訪ねたら、それはもうなんか違うことだよな。そうと思って本を棚に戻し狭いけれど奥深い書店を後にした。
若い友人が指定したお洒落なイタリアンは書店と同じ通りにあった。駅前で落ち合い、お店を探して通りを何往復かした。やっと見つけた小さくて品のいい扉には“色々悩みましたが‥”という書き出しで営業時間の変更が告げられるメモが貼られていた。その書き出しから素朴で飾らない雰囲気があふれていた。
違う店を調べてしばらく歩き、結局吸い寄せられるようにクロックムッシュの美味しい喫茶店に入った。あのお店は件の『なくなってほしくないお店』に入っていたのだろうか?なんとなく、入っていて欲しくない気がした。後から入ってきた二人連れのマダムが「ここにはペレのサインがあるかしらね」と、話しているのが聴こえた。僕にはこの喫茶店がキタナシュランに出るようなタイプのお店には見えなかったが、TVを見なくなって久しいから断言は出来ないなと思った。
そんなこんながあって仕事を終えて飛騨へ帰宅し、旅の片付けを終えた。旅の道中で読もうと思い鞄に入れていたのに結局読み切れていなかった“すべての雑貨”も、鞄から取り出した。
その日はまたまた予定がなかったので、布団に転がりながら残り半分を読み終えたが、最後のページに“飛騨高山のラーメン屋”という文字を見つけて嬉しくなった。文脈的にはあまり褒められた流れでなかったが、まぁ、僕の故郷の残念さについては、誰よりも自覚しているのでしょうがないなと思いながら本を閉じた。
冒頭の一文を読んだ時点で、読み終わるまでお店のことは調べないでおこう。そう思っていたので、さっそく著者の営む”雑貨店”FALLについて調べようと店名をパソコンに打ち込んだ。
掲示された地図を開くと、お店のある場所は、なんと西荻窪でこの旅で一番素敵だと感じた街の本屋と、ランチを食べ損ねたイタリアンのお店の間。目と鼻の先の場所だった。ほんの数日前に1時間ほど行ったり来たりをしていた場所だった。事前に調べていたら、必ず足を向けたことだろう。だけど、事前にそれをしなかったことで、僕は3年ぶりに訪れた西荻窪で行きたかった場所をひとつ、目の前にしながら素通りした。しかも、お店の前を何度も通り過ぎている時、僕は暇を持て余していた。
こうして、僕はFALLに出会う事なく、はるか遠くの山奥の自宅でこの文書を書いている。あの時立ち寄った書店の“西荻窪のコーナー”に、この本は並んでいなかった。並んでいたならあるいは場所を調べていただろう。だけど、僕は目と鼻の場所にある書店のあのコーナーにこの本が並んでいなかったことがとても嬉しかった。それは、『なくなってほしくない名店』に、自分が尋ねた店が載っていて欲しくないと願うのと同じことで、自分の選んだ素敵な場所が、まだ、世間から“雑貨的”に”おしゃれな場所”という一括りにされていないことに安心したからなのだろう。
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