9月:なにかをなくす。

 気がついたら9月が終わっていた。

10月初頭、稲刈りの終わった田んぼにトンボがたくさん飛んで、ススキが静かに揺れている。読書には最適の季節だ。そう思った。

だけど、よく考えてみたら四季を通していつだって、僕は読書に最適な場所を持っている。さながらロマニーのように家中を彷徨い。昼夜を駆け抜けて、自分にとって最適の読書環境を得ている。


 そうそう、子供が産まれて、自分の自由な時間に変化があった。以前は晩御飯を挟んで21時頃まで仕事をしていたが、今では17時きっかりに一旦切り上げるようにしている。お風呂に夕飯の支度と、お父さんも何かと忙しい。(まぁ、それすら満足に出来ていないけれど)夫婦でやってきた仕事も、ほとんどを一人でこなすようになった。かといって能力が高くなるわけもなく、慌ただしい日々は続いている。

自由時間は、以前は22時から2時くらいまでで、主に読書の時間だったが、今では19時から0時がそういう時間に変わった。

時間が繰り上がって気がついたことは、なるほど、この時間に多くの人はTVを観るのか。ということだった。ここ越してきてからTVを手放し、気がつけば5年が経っている。「我が家でなくても生活に支障のなかったものランキング」を作ったら、間違いなくTVが断トツの一位だろう。それくらい無い事を意識していない。ちなみに電子レンジと掃除機は最近導入して、いやはや便利なものだと文明の進歩に感心している。

そもそも、我が家は自営業で、しかも時間的な余裕は相当ある業種だから、いわゆる丁寧な暮らしを実践することも、まぁ可能なのだろうけれど、意地を張って疲れるくらいならそんなのやらないほうがいいし、何事にも得手不得手があって然るべきだと考えているので、まるで頑張っていない。たまにあまりの醜態に嫌気がさして大掃除をするくらいだ。「美しいというのは埃が無いことを指すのでは無い、埃など気にもならない状態をさす。」というのはどっかで聞いた浅知恵だが、僕はその言葉に生きている。

別に僕らは誰かから評価される為に生きているのではない。ただ、拒絶されるのは辛い、受け入れてはもらいたい。そう願っている。

ある友人はそのことを「周りから尊重されたい」と言っていた。同じことを僕は「周りに許してもらいたい」と言った。その違いは機微なものかも知れないが、大きく違う気もする。


なにか大切なことを忘れている気がしていたが、そうだ。9月の頭に祖母が亡くなった。痴呆になって10年以上経っていた。まともに会話を交わしたのはいつだったのだろう。思い出せない。

いつだったか施設に顔を見に行った時、まるで子供のように無邪気な振る舞いと表情にハッとさせられた。しきりに「いい子だから懐に入れて隠してしまいたい」そう言って僕の手を取ったことを鮮明に覚えている。

その時、「あぁ、僕の知っている祖母はもういないんだな。」とそう思った。それは悲しくも寂しくもなく・・・そう、今になって思えば、あれは子供の成長を見た時に近い感情だった。ふっと自然に離れていった感覚が確かにあった。祖母はその時、何かもっとおおきな何かと一体になったのだと感じだ。祖母が祖母であることを離れていってしまった。ちょうど風船の紐が切れて空へ飛んでいくような。そんな軽やかさだった。無垢な姿は菩薩と呼ぶに値する雰囲気だった。もちろん現実は綺麗なことばかりではけしてないのだけど、その瞬間はそんなこと忘れていた。

だからだろうか、亡くなっても寂しくはなかった。今だって亡くなったことを忘れていたくらいだ。それは、僕が冷たいからかも知れないけれど、なんだかそれだけではないような気もする。もうずっと前から祖母はいなくて、そしてずっと前からすぐそばに感じられる存在になっていた。見えないこと、触れられないことに祖母はいたし、これからもいる。祖母はもう随分前から僕にとっては、尊いものになっていたのだろう。

だからだろうか、自分がいつかいなくなる時もあんな風に周りに迷惑と心配を沢山かけて、それでも尚、こうして暖かな思い出だけが残るような、そんな最後であれたら。そう思うようになった。それは一重に祖母の影響だろう。

やはり僕は「許してもらいたい」のだ。この不甲斐なく出来損ないの自分をありのまま許してもらいたい。そして、他者に対してもそうありたい。しかし、それがで上手くきないからこその自分だ。そんな自分も受け入れてあげたい。ずっと一番自分をないがしろにしてきたのは、そして、今もそのように振舞っているのは、他でも無い自分自身なのだから。



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