三十一冊目 【限界芸術論】

【限界芸術論】

著者 鶴見俊輔

出版社 ちくま学芸文庫

シロウト趣味人が限界芸術家に変貌するきっかけは、職業芸術家の模倣から離れて、自分の身近にある環境そのものの中に芸術の手本を発見することから来る。しかし、こうしたシロウト芸術家になる努力もせず、ただ黙って働いている人がいる。こういう人の存在の形そのものが、もっとも深い意味であると宮沢は考えた。

戦後の進歩的文化人を代表する1人と呼ばれる鶴見俊輔が1967年に発表したのが、この「限界芸術論」です。「限界芸術」とは「芸術と生活の境界にあって、専門家によるのではなく、非専門家によって作られ大衆によって享受される芸術」と定義されます。鶴見は暮らしを舞台に湧き上がり続けた芸術に目を向け、その先達として民芸運動の柳宗悦や、民俗学の柳田国男、そして宮沢賢治の仕事から、民謡、どどいつ、落語まで、本書では戦後日本の文化を幅広く俯瞰して独自の限界芸術論を展開しています。生活の側に寄り添う芸術についての論考なので、戦後の大衆文化の息遣いが伝わってきて、大変面白かったです。縦横無尽に、しかも対象の生涯から周囲や社会との関係まで深く俯瞰的に見つめながら展開していくので、森に迷い込んだような不思議な印象をもちました。

 世の中の多くのものは「作ろうと思って作られたもの」ですが、鶴見が限界芸術と呼んだ多くの物や芸能は、「作られたのではなく」「生まれたもの」であったように思います。蓑や草履はもともと売るものでなく、使うものであって、「原価」や「労働時間」で「価格」が決まって、貨幣で取引されるようになったのはごくごく近代になってからのことです。

シロウト芸術家になる努力もせず、ただ黙って働いている人がいる。こういう人の存在の形そのものが、もっとも深い意味であると宮沢は考えた。

このような愚かしくどこまでも純粋で美しい存在は、宮沢賢治の作中に幾度となく登場しています。印象的なのは、「オッペルと象」に出てくる気のいい無知な象や、「アメニモマケズ」でしょう。鶴見の限界芸術が伝えようとしたのは、芸術の枠を超えて「生き方そのもの」が芸術性をもって湧き上がってくるような力でした。それは評価に関わらず、知られているか否かに関わらず、個と他との関係性の中でわきあがり「様々な因果が混ざり合った末、生まれてきたもの」でした。そういえば、数日前雑誌の取材でこんな質問をされました。

「お店に並べる際、選ばれたものと、選ばれなかったものの違いは何ですか?」

ぼくは「作ろうと思って作られたものは選びません。」と答えました。生活を見回してみれば、街にあふれる多くの物は、マーケティングを重ね「ターゲット」を明確にして「作られたもの」です。だけど、ぼくは思うのです。今、多くの人が求めているのは、そんなテーマパークのお土産のようなものや、観光雑誌に華々しく紹介されるようなものではなくて、土地の文脈に立脚して、誰か生き様として必要にかられて湧き上がってきたような、そんな「生まれ、育まれた美しさ」なのではないでしょうか。それは、なろうと思ってなるのではなく、素直に生きていたら、そうなってしまった。ということでしょう。そこに、多様性社会の生き方のヒントがあるように思います。

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