二十九冊目 【持続可能な資本主義】
【持続可能な資本主義】
著者 新井和宏
出版社 ディスカバー携書
大きなテーマは「見えざる資本」の可視化、そして価値化です。「幸せ」「人間力」「美意識」「関係性」など、①合間だけれども大切な「見えざる資本」を評価基準にした人材育成②「見えざる資本」が増えると電子ポイントが増える仕組み③共感でお金を集める(出資する)・配る(投資する)仕組みを提供しています。
元鎌倉投信ファンドマネージャーの新井和宏さんが2017年に出版された本です。携帯版になって再販されました。現在、新井さんは独立され株式会社eumo代表取締役をされています。僕は普段文系の本に接することが多く、どちらかといえば人類学や社会学のような「観察」と「自己分析」を思案の中心にしているのですが、「経済」は得意ではないので、たとえば「サブプライムローン」のなにが良くなかったのか…とか、なぜ戦後からバブルにかけて栄華を極めた企業が倒産することになったのか?といったことは、動画やまとめサイトでわかりやすく解説されているものを見て、すこしわかった気持ちになっている程度でした。おおよその感覚として、「戦中戦後に0から叩き上げで大企業に成り上がった経営者の多くは、日本人の商売の基本「近江商人の三方よし」のように「義理」「人情」「信頼」を大切にして、時代のニーズに応える形でサービスを提供し続けて、やがて社会を変えるほどの大企業へ成長していった。けれど、バブル期頃からのグローバル化によって欧米式の経営手法がとられるようになり、破綻に向かっていった」というような認識でした。
三法よしとは、商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる。という日本人の商いの基本のような考え方です。ほんの50年前まではこれが当たり前でした。そして、それはぼくらの目指している「当たり前の商い」のあり方です。本書を読んで、なぜこのように長期的な目線に立って優れていた商いのルールが、現在のような「儲けられれば粗悪品でも構わない」という短期的で消費的なものに成り下がってしまったのかを理解することができました。新井さんはこのような変化を…
「フローの増加を追及すること」は社会全体の短期的最適化、「ストックの増加を追求すること」は長期的最適化とも言えます。
と書かれていて、本書では「三法よし」から「八方よし」へと発展的な回帰をすることで資本主義を適正な形に再設定していく試みが紹介されています。フローの増加を追及すとどうなるか。地域や企業のストックしてきた文化資本はどんどん目減りしていきます。そしてやがて枯渇します。現在、僕らの生活する日本、そして地方が抱える問題もここにあります。子供の頃、山に山菜を採りにいった時、父は僕に言いました。
「採りすぎたらだめだよ。山の動物のため、来年も芽を出してもらうために、ちゃんと残しておくんだよ。」
いまの我々の営みを支える資本主義という仕組みは、方々で崩れていっています。それは当たり前のことで、この数十年、日本では「未来のために山菜を残すようなこと」は、まったく行われてきませんでした。これは個々人が悪いという単純なものではなく、「採り尽くしてしまうなら、人工的に栽培すればいい」とか「ここになくなってもほかで採ればいい」という、短期的な目線にたった行動を、日本の資本主義が良しとしてきた結果です。採り尽くされてしまえば簡単には元に戻りません。自然のバランスは実に巧妙に出来ているので、そのような不自然に対してはどこかで異常をきたしていきます。それはどれだけ精巧な機械でもちいさな歯車が破損しただけで動かなくなることと同じことです。現代の安定の基盤となるはずの「資本主義」は、もう壊れてしまっているのです。
僕らが「永遠の成長」を前提として、生活の芯にすえている「資本主義」という仕組みは、永遠を約束してくれませんでした。これからの時代は、わかりやすいフローを稼げるだけではなく、いかにしてストックという「見えざる資本」を蓄えていくことが出来るかにかかっています。失ったものを取り返さないといけないのです。テクノロジーの進歩によって達成されるべき未来は、「機械がなんでもしてくれて、お金もネット上でいくらでも簡単に稼げる。」という怠惰な世界ではなく、「生活にかかわるインフラはすべて機械が助けてくれる。あまった時間でいかにこの幸福を継続的に子々孫々の代まで続けていくことが出来るか、人間らしい営みとはなにか?」と思案しトライする時間の時代になるべきではないでしようか。人間を人間たらしめているものは「感情」です。それは「想像力」とも言い換えられます。猿やイルカは地球の未来について研究することはありません、彼ら事態が自然の摂理の一部だからです。しかし現在の人間は知性によって「神」にも等しい実権を握っています。人間の行動が及ぼす影響は我々が考える以上におおきいものです。だとしたら我々の務めは「善良な神の振る舞い」というシステムを形成する方法について思案することではないでしょうか。そして、それらが継続可能で人々が無意識に行われるようになった時、人はテクノロジーを活用することで、神話の時代のように動物や植物と親しい友人に戻ることが出来るのかもしれません。
本書はとても示唆にとんだ良書でしたので、やわい屋でも新刊を仕入れて並べさせていただきます。2019年に入って5冊程読みましたが感想を書きたくなったのは本書だけでした。とても売れているそうなので、こういう良い本が売れるのなら日本も明るいな…と思いました。
入荷時にはまたお知らせさせていただきます!
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