二十一冊目【タモリと戦後ニッポン】

【タモリと戦後ニッポン】

著者 近藤正高

出版 講談社現代新書

ナンシー関は、もともとタモリが「父・兄・教師」などの信頼が発生しする関係性ではなく、あくまでも得体の知れない通りすがりの、もしくは近所に住んでるけど素性のわからなかい「他人」的司会者を標榜したがっていた。ということを指摘している。「父」や「兄」に比べると「祖父」というのは無責任感を漂わせる続き柄である。「祖母」の持つ郷愁みたいなものも薄いし。そのあたりをふまえると、タモリは最近の「おじいちゃん」的司会者という境遇を、やぶさかではないとしているはずである。関係性を持たない「他人・通行人」的立場より、「おじいちゃん」的というのは、より規制がないのかもしれない。


 皆さんご存知のタモリとその周辺を軸にして、戦後日本の文化を紐解く良書。ひとりの人物の半生に軸を置くことで、当時の「空気」のようなものが、身近な出来事のように思えてきます。その点で、これまで読んできた「戦後史」のなかでも、とくに面白く感じました。戦後世代、現在70代の「団塊世代」のことを知りたいと思う人には、是非読んでもらいたい本です。

 もともと現代を生きる我々が思うような「若者文化」という概念が産まれたのは、地方で生まれた団塊世代の若者たちが、仕事を求めて大量に都市部に集団就職という形で、「移住」をしたことにより、若者の欲求を満たす為に、急速に都市部で若者文化が形成されていったという背景があります。「集団就職」といえば聞こえはいいですが、要するに親公認の「家出」をしてきた同世代が街中に溢れていた時代です。いろんな意味で楽しくないわけがありません。しかも、時代は好景気へと向かっているのです。

 戦後、地方ではまだ旧来の村社会の文化や慣習が強く残っていました。団塊世代が爆発的に人口を増やしたのは、都心ではなく、地方での出生率の上昇です。農地解放によって戦中より生活が豊かになった地方の人々が、その豊かさを背景に、戦時中自粛していた出産に前向きな時代になったこと、また戦争によって出兵する若者が不要となったことで家庭を築く安心感が増したこと。そして、多くの大正産まれの若者が終戦によって故郷へ復員し、戦後、所帯を構えた。ということも影響しています。「団塊世代」の誕生には当時の日本の社会が大きく関わっています。というか、その点は僕らも同じです。「ゆとり世代」とひとくくりにされると少し侵害ですが、誰もが生まれ育った社会構造の影響を受けて成長します。ですので、社会学や、人類学を学ぶことは、「自分の信じてる価値感のルーツ探し」であって、けして、他人事ではないのです。

 タモリが産まれたのは1945年(昭和二十年)団塊世代は、昭和二十二年~昭和二十四年生まれを指すので、タモリも終戦の年に誕生し、戦中うまれの価値観と、戦後うまれの団塊世代を俯瞰して見つめるような形で青春時代をすごしたことでしょう。また、タモリが早稲田大学に在学していた時代は、まさに「怒れる若者たち」と称された「全共闘世代」。学生運動のもっとも盛んな時代でした。この世代の者は15%が全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争に対する学生運動に関わっていたと言われてます。事実、タモリは入学した年に学校がバリケードで封鎖されて、勉強なんてできなかった。と回想しています。そのような時代から現在に至るまでの、文化的には激動の「戦後社会」を生きてきたタモリが上記のように「おじいちゃん」的な存在で社会に定着してることは、とても示唆にとんでいるように思います。

 戦中の激動の時代、豊かな時代の満州から日本に引き上げてきた家庭で産まれ、戦後の福岡で幼少期を過ごし、大学時代は学生運動を横目にジャズに打ち込み、福岡に戻った後は当時流行の最先端だったボーリング場の支配人となり、さらにフルーツパーラーの名物ウエイターを経て、二度目の上京後は、赤塚不二男のマンションに「日本で最後の居候」と称して居候し、その後TVの世界へと進出します。当初文化人や音楽業界を皮肉ったネタで「ブラックな文化的笑い」を強みにしていたタモリは、80年代に入ると、「笑っていいとも」を初めとした素人から笑いを引き出す昼の顔へと変化し、90年代になると今のような「タモリ倶楽部」「トリビアの泉」「ボキャブラ天国」といった「雑学」「教養」「知識人」「多趣味」の表情が強くなっていきます。ただ、どの時代のタモリを見ても、同世代のお笑いを牽引してきた、さんまやたけしのように「笑いの中心」にいるスタンスではなく、中心からずれたところに立っている、まさに「おじいちゃん」的な立ち位置を守っています。この処世術から学べることは非常に多いのではないかとおもいます。なぜ「品があり」「常識人」と思われているのに、「適当さ」をしっかり残せているのか。このあたりに多くの学びがあると思います。世間から「尊重」されていて、「やらされている感」はまるでなく、まさに「好々爺」といった印象です。この印象を持つ芸能人は実はすごく少ないです。NHKのドキュメンタリーの司会をこなし、「世にも奇妙な物語」で案内人となり、深夜に「タモリ倶楽部」でくだらない下ネタや趣味に没頭する。普通、深夜で下ネタのイメージの人物がNHKのドキュメンタリーの司会というもは違和感があるはずです。しかし、タモリにはそのような世間の意見がほとんど見当たりません。それは、あらゆるものの軸に存在しているのに、どこかそこにいない存在として関わる「おじいちゃん」的な絶妙な距離のとり方、バランス感覚に由来するように思います。それは、自らを世間の相対的な見方から外れたガラパゴス的な存在として保ってきたタモリの生きかたと、そんな彼のことを「大切」にしてきた、多くの周りの人々の「愛情」のようなものを感じてしまうのです。

 タモリはすごい。なにがすごいか、よくわからないから、すごいんです。これは先ほど感想を書いた落合さんの言うところの「一休宗純」のすごさと共通することだと、僕は思います。

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