十八冊目【道具が語る生活史】
【道具が語る生活史】
著者 小泉 和子
出版社 朝日選書
鎌倉時代に禅宗と共に宋の料理が入ってきて、野菜、乾物、味噌、豆腐、納豆、麺類等が導入され、一方すりばちを使って調理するかまぼこやあえものも始まった。つい近代初期になると南蛮料理の揚げ物が入るなど、次第に冷たい料理からあ温かい料理へ変わっていった。加えて茶の湯の盛行による会席料理の発達が食器やもりつけを発展させるなど、料理の重点も味付けと盛り付けに変わっていく。
急須や土瓶、擂鉢、畳や提灯からちゃぶ台に至るまで、日常で使えわえる様々な道具から庶民の生活を読み解く良著。食器に関わる仕事をしていてもその道具がいつから使われていたのか、いつから現代のような使われ方をしてきたのか、そういったことは日頃あまり意識しない。たとえば、僕ら器屋は少し前まで茶碗や湯呑み等は五客揃えで販売するのが常識だった。各自が食卓でばらばらの器を楽しむのが常識のようになったのは最近のことだ。各人の営みというのは、意識しなくても時代の影響を大きく受けている。それはファッションに似ていると思う。
冒頭に引用したように、日本人の食生活もおおいに変わってきた。一般家庭の食卓で大陸から入ってきたものを抜いたら、かなり質素なものになる。そもそも日本食は質素だった。昔から米を食べていたことに変わりはないが、現代のように炊いた白米をおかずを、どんなに田舎に暮らす人でも普段から食べられるようになったのは、戦後になってからで、それまでは稗や粟を混ぜたものや、大根やその葉を入れて炊いた雑炊のようなものを、囲炉裏にかけた鍋で煮て、杓子で取り分けて食べていた。そして、時代劇や昔話では白木の木の椀を使っていることが多いけれど、実際は庶民もおおくは漆を塗った漆器を使っていたようだ。おおくの田舎では江戸時代とさして変わらない営みが昭和まで続いていた。このことも僕らからしたら信じられないことだ。僕らの「日常」はたかだか60年くらいの歴史しかない。その「あたりまえ」にしがみつくことは、あまり懸命な選択とは思えない。
そういった考えから、郷土史から昔の暮らしぶりや古い道具のことを調べたりというのは日常的にしているのだけれども、この本で初めて知ったことも多かった。一番驚いたのは「提灯」のことで、なんとなく江戸時代から夜を照らす照明として日常的に多様されていたと思っていたのだけど、和蝋燭というのは芯を定期的に切らないといけなく、しかも製造に手間がかかるので当時から高価であった為、提灯が歴史ドラマで使われるようになったのは、洋蝋燭が輸入されて、安価で量産されるようになった明治以降だった。ちなみに、花見やお祭りの際に提灯を吊るすようになったのは、明治十二年にグラント将軍来朝の歓迎式典の際に、提灯を家々の軒先に吊るしたのが始まりとされている。その光景がとても綺麗だったので、全国的に流行したそうだ。「昔からそうだった」とよく耳にするけれど、その「昔」が百年前なのか、三百年前なのか、五十年前なのかについては熟考が必要だと思った。
もうひとつ、以前から疑問に思っていたことに答えが見つかった。それは山国における林業のことで、木材というのは石油が一般化する前は、生活の為に必須の材質で、かつエネルギー源だったので重宝されていたのは理解しているつもりだった。薪・木炭・木椀・建材・土木工事の建材。等々に使われる木材は万能の素材だった。それにまつわる職業や集団も多く存在した。疑問だったのは、おおきな川が流れていない山奥では、材木を運び出す手間を考えると、現地で、椀の下地を削ったり、薪や木炭を作る他に、どのようなものを作っていたか?ということで、いつも考えていたけど分からなかったのだけど、答えは「樽・桶」の材料だった。確かに輪でとめる樽・桶の材料はばらせば運搬も容易だろう。室町時代に「陶製の壷」という重く割れやすいものから「木製の樽・桶」という軽くて丈夫な容器が変化したことで、様々なものを遠方に運ぶことが可能になった。室町時代は交通貿易の高度経済成長期だったのかもしれない。
「あたりまえ」に思ってることでも、実は近代になってから始まった習慣も多い、洗濯機は大正時代の末には使われ初めていたが、当時は女中を安価に雇えた時代だったので、一般に普及しなかった。女中が当たり前に生活の中にいた時代の生活を僕らは知らない。それはほんの百年前のことなのに。
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