『すぐそばの工芸』
松本イオン内の無印良品において行われた~このまちに暮らすこと~と題された5回シリーズの1回についての感想です。栞日の菊池君が進行役、木工作家の三谷龍二さん、いつもお世話になってる哲学者の鞍田崇さんの三人によるトークイベントです。例によって感想というよりは、お話を聞いて思ったことを、つらつらと書き残します。よかったらお暇な時にご一読いただけたら幸いです。
「よい街というのは、服をまとうのと同じように、街という皮膚をまとっている感覚になれる街だと思う」という鞍田さんの言葉が印象に残った。「自分の部屋や窓から見えるところも、自分の暮らしの延長だと思ってやってきた」という三谷さんの言葉も印象深かった。35年の歴史のある松本クラフトフェアを通して、町と関わり続けてきた三谷さんは、想像していたよりずっと親しみのある方でした。
今の時代、「街」という営みの中に、「自分の生活」を見出すことが難しいと思います。「おらが村」と感じていた時代と比べると、個人と街の関係は現代のほうがはるかに薄いように感じます。いまの街(都市)は、自分抜きでも何の問題もなく動き続け、存在するものっように感じるものになりました。個々が意識しなくても知らないところで誰かがなんとかしてくれる感覚になってしまった。でも、本当はそれは誤りで、たくさんの人の労働や奉仕や行政のサービスによって街は機能しているのだから、他人事であるはずはないのだけど、それらは極めて見えずらく、感じづらい場所に追いやられてしまいました。現代人が政治や自分の暮らす街に興味がないのもいたしかたないことだと思います。総じて、現代は「生活」という一番身近な生き甲斐が、見えにくく感じづらくなった社会です。
最近、僕らはそのような環境で生まれ育った、歴史的にみても稀有な存在であるのではないかと思うことがあります。これほどまでに「生きる」ことを意識しなくても、貨幣という媒体を使えば、不自由なく生きられる時代は過去にはなかったように思います。その意味で、現代は戦後追い求めた豊かさの目標を達成した社会であり、極めて幸福な反面「生き甲斐の搾取」の時代とも言えると僕は思っています。それは、攻略本を読みながらゲームを進めている感覚に近いのではないでしょうか。最近では聴かなくてもアシストしてくれます。そのうち車も自動運転になるでしょう。家電製品の発達で生まれた余暇を利用して、人々はより人間的になる学びをすると想像されていましたが、現実はその間逆で、余暇まで働かないと暮らしていけない水準にまで暮らしのハードルをあげてしまった。そのことから学ぶことがたくさんあるように思います。便利であるということは必ずしも幸福と結びつかないのです。
そういう意味では、松本という「街」は「町」というには大きすぎるけれど、「都市」という印象はありません。実際は20万人が暮らす地方都市だけれども、建物が低く、山々が近いこともあって、郊外の田園都市のように自然が混在しているのだけど、どこか無機質な「手入れされた自然」のある街とは趣が異なり、松本は「街そのものが樹木のように土の中からはえてきた」そんな感覚があります。僕が思うに、太古から続く「縄文の道」に裏付けられた土地である信州は、海がないという地理的条件もあいまって「大地的なもの」との接続に長けているような気がします。この「大地性」との繋がりがあるから、松本は民藝・クラフト・生活工芸というものづくりの伝統が脈々と続く街であり得たのではないかと思います。いまも続く諏訪の御柱祭は、御柱という男根を大地という女性に突き立てる。街道の辻に残る道祖神も、古くは原始的な信仰の対象であった「ミシャグチ神」(男根を模した神)から続くものとして、中沢新一さんが「縄文・ミシャグチ・道祖神」で論じていますが、信州にいまも残る文化には、縄文の頃に起源をもつ古い日本的なものがおおく内蔵しているように思うのです。この数千年降り積もった層があるからこそ、松本の街はどこか都市的ではない、包み込む母性の感覚が残っているように思います。
「大地性=母性」であるという感覚は、無宗教的になった現代人の生活のなかにも脈々と受け継がれています。「母なる大地」は、ほんの数十年前まで手の届くものとして、すぐそばにありました。母なる大地の恩恵である土も木も蔓も工芸の材料となって、山を離れて暮らしていても。生活の「すぐそば」にありました。だからこそ、地方地方で異なる工芸や町並みが生まれて、存続してこれました。素材の時点で地域性が固定されていた時代と、目の前の山から木を切るより、海外から素材をお金で取り寄せたほうが安く手に入る、現代とでは、工芸のあり方が大きく異なるのは仕方のないことだと思います「クラフトになるにつれてローカリティーは減っていった」「地域という足かせを解くことでクラフトは広がっていった」鞍田さんの言葉は、クラフトに限らず、現代の経済活動のあり方全体の流れを示唆している言葉のように思います。
そして現代人は失った「足かせ」の変わりに「手仕事」や「ローカリズム」を求め始めました。それは、あらゆるものがバーチャルになっていこうとする流れに逆行する「リアル」な生命へ対する回帰運動だと思います。たとえば観光は、お土産を渡して承認欲求を満たす(買い物)から、欧米型の「体験形観光」へと変わりつつあります。飛騨を見てもレールマウンテン…サイクリング…川くだり…とたくさんのアクティビティ観光が出来てきています。経験にお金を払うというのは、「物語」にお金を払うということです。そして、自身では成し遂げられない経験・物語を「個人が作った工芸品」に求めているのです。日本人はもともと物語が好きです。神話に始まり、民話や妖怪、英雄譚などが、どの時代にも存在しました。そして現代ではアニメや小説。映画がそれを肩代わりしています。人間はものを作るとき、実は、脳の言語を司る部分を活動させています。これはものをつくるという順序を頭の中で整理する時に言葉を利用しているからだと考えられています。つまり、高度な道具を作れるということは高度な言語を作り出せるということになります。最近の研究で、我々の祖先・ホモサピエンスは、石斧を作り、それで丸木舟を作って現在の沖縄に上陸したという説が出てきました。手先の器用な日本人は器用な言語を使って、様々な物語を作り出してきました。そして、その物語を自分の経験のように共感する能力を身に着けました。しかし、現代の我々は極めて高度で幸福な社会に暮らしながら、「本当の自分は今の自分ではない」という感覚に陥っています。満員電車で見知らぬ人とくっついていて不安にならい方が不自然なのに、それを感じないように自分を抑制する「感覚を遮断」することで、都市部の生活は成り立っています。そして、遮断して失った「感覚」を、田舎でのなにげない時間や、誰かが精魂こめて作ったことがわかる工芸品や、デザイナーの作るプロダクトのものに求めているのでしょう。
失った「感覚」は、「関係性」ともいえます。他者や社会と、どのように関わっていくのかということを、現代社会は、ほとんど教えてくれません。その意味で「村のおきて」があった昔は、窮屈であったかもしれないけど、それに従えば心配はしなくても大丈夫でした。インドのカースト制度は外から見たら不思議でも、暮らしている人は普通に暮らしやすいと思っているところがあります。日本も、あんなに豊かなのになにが不満なんだ!と、外からは思われていることでしょう。「関係性」がうまくいかなければ、どれだけお金があってもひとは不幸を感じるものです。失った関係性を取り戻すために、様々物のを選ぶなかのひとつが工芸であり、ローカルなのでしょう。
最後に印象に残った言葉を紹介して終わりにしたいと思います。栞日の菊池君が会話のなかで自然に口にした「暮らし手」という言葉、僕はこの言葉に驚きました。いままでも我々民藝の人は「つくり手」「くばり手」「つかい手」という言葉で、消費者と販売する人と生産する人を分けていましたが、しかし近代では、それぞれが分業というのはあまりなくなってきています。インターネットや交通網の発達で、作る人が販売やPRもして、他の人の作ったものをどこでも買えて使える人でもあるからです。菊池君が「暮らし手」という言葉を使う背景には「暮らしていない人々」の存在があると認識しているからだと感じました。それは、「単に仕事をこなして日々、生きてるだけの人々が存在している」ということを指します。思い返せば「生活工芸」も生活と工芸が乖離したからわざわざ言葉にしなければいけなくなったのだと思いますが、それから約20年を経て、同世代の菊池君は「暮らし手」という言葉で自分たちのことを語りました。その言葉から僕は強く「物理的な豊かさから精神的な豊かさへ」と社会がおおきく舵をきっているという実感を感じました。僕らの使命は暮らしに実感と責任を持つ人たちを育てることであると共に、暮らしに実感をもてないという社会そのものについて熟考することにあると思います。僕らはここで一度立ち止まって、自分の生活する場所を通して「暮らし」や「営み」ということについて、その根本的な意味や大きさについて、改めて考えなければならないのではないでしょうか。
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