一冊目【二十一世紀民藝】
【二十一世紀民藝】
著者:赤木明登
出版社:美術出版社
能登で塗師を営んでいる赤木さんが、雑誌「住む。」に「名前のない道」として掲載した文書のなかから、民藝に関する話を拾い上げて再収録した一冊。「住む。」に連載されている時から拝見させていただいていましたが、大幅に加筆修正されており、主題の民藝についてより深く分かりやすく纏められているので、もの造りの工人のみならず、現在社会に対して違和感を感じていたり、発酵…再生可能…ローカル…移住等々の言葉に引っ掛かる我が友人の多くに、また民藝には興味のない方にこそ、お薦めできる一冊です。民藝のみならず、日本人の根底に流れる思想が現代社会の中でどう存在することが出来るのか、考えるきっかけになるかと思います。
【二十一世紀を生きるすべての工人のために】
と巻頭にしるされたこの本は、生活工芸・クラフトと呼ばれた工芸の一時代を築いた世代のひとりである赤木さんの思想を、その日々の営みに寄り添うごくごく自然な形で綴った大変気持ちのよい一冊で、聞いた話によると、装丁にもこだわり、かつて柳宗悦等が発刊していた雑誌「工藝」へのオマージュが込められているとのこと。手元に置いておきたい一冊となりました。
赤木さんはバブル以前に東京から輪島に移り住み、東京では「家庭画報」の編集者をされていたそうです。帯には「民藝新解釈」とありましたが、僕はまっすぐな解釈であるように感じました。硝子作家は硝子で語り、陶芸家は土で語り、塗師が漆で語るのがもっとも自然であるようにおもいます。解釈はひとの数だけあってしかるべきものであり、赤木さんの生活の積層した所から響く言葉達は、うっそうとした森。針葉樹と広葉樹の混ざり合った里山の土のようにな吸水性と奥深さを感じさせるものでした。
内容として、各章が柳宗悦が残した民藝を語るうえではずせない
【直観】
【用の美】
【下手の美】
【工藝の大河】
【他力】と各意味を詳しく説明しています。
民藝という造語が生まれて百年、いまその意味を伝える翻訳者が必要であると思います。それは美術史としての民藝でも、思想・宗教的な民藝でもなく、ひとりの人間がその一生をかけて貫く【ケの日々の重曹な重なりとしての生活】というフィルターを通した言葉である必要があると僕は思います。
それこそが、初期民藝運動に参加した同人、各地の工人や支援者、配り手の方々が、各地の【民芸館】として、また民芸運動として、我々に残してくださった瑞々しい民藝のある暮らし。その貧しさと豊かさの偽りなき姿だと思うからです。
民藝の意義を論理立てて書かれたものは、これまでたくさんの読んできましたが、その人柄が滲み出ていて胸に響いた本はそんなに多くありません。今思い浮かぶもので言えば、民芸のプロデューサーとして新しい民芸品(生活工芸品)を数多く生み出した鳥取の吉田璋也さんの【有輪担架】、そして、犬養毅の孫娘である犬養道子さんが書かれた【花々と星々と】が僕思い出されます。これは個人的に私小説から学ぶことが多いということもあるからですが、赤木さんの書かれたこの【二十一世紀民藝】もそのような素晴らしい一冊です。
とくに読んでいて喜びに胸が踊り思わず声をあげてしまった箇所がありました。新刊ですので引用は避けますが【茸とりのお話】です。是非ご覧いただけたら幸いです。
思想を持つということで勘違いされがちなのは、自らの思いを過去の規範に当てはめて言語化できたら、それで良いと思われているところです。実際はそれを言語にするよりも、もっと必要なことがあります。それは、その事柄について「自らの物語」として語る力です。
この物語を語れる人は実に少ないです。少ないというのはそういった人は自らに学がないからと語りたがらないという現代お風潮もあるせいかもしれません。実際近所の爺さんから聞いた面白い話は三十年後でも面白く話せる自信がありますが、本で学んだ心理学や文化人類学、社会学の知識はすごい速さで消費され忘れていきます。ものがたりには力があるのです。
そしてこの本は民藝と現代を結びつける「物語」です。それは赤木さんの身体を通して僕たちに分け与えられた、かえがたたい物語です。
ひとは関係性という見えない糸を想像することで、自らの存在の意味を知ることができます。そのような見えない働きを仏教では「他力」と呼び、折口信夫は「類化性能」と呼びました。
それは人間が人間であるために備わっている力のひとつであって、現代社会では認識が難しくなっている力のひとつでもあります。
大地と民藝。
発酵と美学。
自然と工藝。
現代を生きる我々が物語として認識できなくなってしまっている様々な事柄を、赤木さんはきっとお酒をちょいと引っ掻けて饒舌に語ります。
あぁ、なんだが書いてたらお酒が呑みたくなりました。
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