これから綴るおはなしは、ほとんど本当ですこし嘘。みえないことばのぼやけた輪郭にふれる、ありきたりな日々の私小説。毎月一回お届けします。



「ねぇ、財布知らない?確かに枕元に置いたはずなんだけど見当たらないんだよ…」

 彼女と付き合って十三年、夫婦になってから八年が経った。その間にぼくは何度このセリフを口にしたのだろう、なくすのは財布だけじゃない、車のカギや、玄関のカギ、ひどいときには眼鏡だって見失う。おおよその原因は分かっていた。いろんなことが気になってワンテンポ早く手にもっていたものをその場においてしまうからだ。

昔働いていた職場では「ぱなし」というあだ名で呼ばれた「やりっぱなしのぱなしくん」

「おっと、探偵引っ越しセンターへのご依頼ですね?報酬は安くないですよー。一万五千円になります」

そういって妻は慣れた感じで家のあちこちをひっくり返している。いつから彼女は謎の家内事業を立ち上げている、なぜ探偵と引っ越しが一緒なのかはわからない。多分彼女にもわからないだろう。彼女はよくそういった言葉遊びをする。きっと口からでた言葉の心地よさがあるのだろう。

「うーん…確か帰ってきてからお店を覗いて…それからトイレ…それからスマホを充電してて…あ!あったよ!お茶を汲むときに置いたんだよ!はい、ガスレンジの前!しめて一万五千円になります!」

 支払いは出世払いにしてもらっている。生涯未納の予定だ。探偵引っ越しセンターの腕は確かなもので、ぼくがあれほど探していた失せ物を魔法のようにすぐに見つけ出す。彼女の推理は概ね完璧で、普段はボーッとしているクセに、僕のことに関しては本当によく知っていて、周りの人が呆れるくらい愛してくれている。そんな妻が一月のある日、こんなことを言い出した。

「ねぇ、最近わたし探偵の腕が落ちたみたいなの…」

 布団にもぐりこんだ直後に真剣な面持ちで彼女はそんなことを言った。少し考えてみたが、そう言われてみればそんな気もするけど、そうでもない気もした。

「そうかな?探偵にも勘が鈍るときがあるよ。気にするほどのことじゃないと思うよ」

 そんなぼくの気のない返事に、そうかなぁ…と不満そうにスマホに眼を落として、お気に入りのアイドルの写真が新しくアップされていないか偵察していたが、しばらくしたら寝てしまったようだった。

寝顔を横目で見ながら、言われてみれば確かに最近探し物をしている彼女の姿をよく見掛ける気がするなと思った。心なしか忘れ物も増えている気がする。

…やれやれ自分のこともままならないのに、これからは彼女の持ち物まで気を付けなければいけないのか…

そんなことを考えていたらうまく寝付けなくなってしまった。

『…ねぇ、やっぱりおかしいと思うの。最近ね。わたし身体の中から変わっている。よくわからないけどそんな気がする』

 彼女の呟きが頭のなかでこだまする。深く眼を閉じて考えてみたけど、とりたてて体調が悪そうには見えない、いつも通りよく食べてよく怒ってよく笑って四六時中寝てる。
年齢のせいなのかな?もうすぐ三十路だし…そんなことを考えて、連れ添っている時間の長さに愕然とする。高校生だった彼女も、もうすぐ三十歳なのだ、変わらないわけがない。

 しかし隣に寝ている人がいると残された方は置いていかれたわけでもないのに寝つきが悪くなる。これはもしかして危機的状況に陥った際に発揮されえる人間の本能なのか?そんなことを思った。

『焚き火の守りのような…』

そんなことを考えたら、このだらしのない自分にも生きている役割があるような気がしてすこし心が軽くなった。心に重さなどあるのだろうか?わからないがいずれにせよ、ぼくには隣で寝ている彼女と間にもぐりこんできた愛猫を守る役目がある。おちおち眠ってなんかいられない。

…そんな脱線を繰り返しているうちに時計の針は午前2時を指そうとしている。少しお腹がすいてきて、ふと彼女の言っていたことをまた思い出す。

『身体のなかから変わってる…よくわからないけどそんな気がするの…』

 自分の身体に置き換えて考えてみたけど、今みたいにお腹がすいたような感じだろうか?空腹という魂の重さが重力に引っ張られるのを彼女も感じているのだろうか…もはや思考は泥のようになっていて、自分でも説明はつかなくなっている。『真夜中に考えることにのろくなことはない、そんなこと考えてるくらいなら自慰でもしてさっさと寝たほうがマシだ』いつかリリーフランキーが言っていた言葉を思い出す。確かにその通りだ、うまいことを言うもんだ。今の僕は身じろぎもせずなにをしているのだろう。問いに答えてくれるものはこの寒い部屋にはなかった。

 …無意味な夢想をさまよう僕とは対照的に彼女は静かに眠っている。間に挟まる愛猫もリラックスしたのかおおきな身体を球体から長細い体勢に変えている。寝ぼけているのか前足でなかなかの力で押してくる。『パーソナルスペースの広い猫だな』そう思いながら、身を寄せて、ぼくは布団の隅で丸くなっている。まったくどっちが猫だか分かったもんじゃない。

 しかし、隣で眠る彼女は探し物が見つからないだけで、自分の内側からのなんらかの変化を感じている。自分の気持ちを言葉にするのが苦手な彼女はその分「身体の声」に対して敏感なのかもしれない、なんでもかんでも話したがるぼくは、ちょっと走っただけで周りから爆笑されるくらい自分の身体の姿を捉えられてはいない。以前テレビで「運動神経ない芸人」の特番を見たが、多分外から見たらあんな感じなんだろう。笑わせるのは嫌いじゃないが笑われるのは得意ではない。

いつも周囲からは、ぼくのほうが自分のことをわかってるように言われるけれど、本当は反対だ。そうずっと前から思っていた。本当は彼女がいるから、ぼくは「焚き火の守り」という役割を与えてもらっている、ぼくを照らして暖めてくれているのはいつだって彼女のほうだ。ぼくはその明かりとぬくもりを頼りに頼りなく歩いているにすぎない。ぼくらは互いを照らしあっている。でもまぁそんなことは、『卵と鶏の関係』のようで、どちらが先でどちらが後かなんてことは、どうでもいいことだ。

 ぼくが起きてるせいで寝苦しそうな彼女の横顔を見ながら、いつ来るとも知れない朝を待っている。「ありがとう」そうつぶやいたけど、きっと言わなくたって伝わっているのだろう。ぼくらは不器用で不器用だから誰かが必要で、だからこそ自分のことを昨日よりほんの少し好きになれる。それは冬の寒さがあるから人のぬくもりに気がつけることと同じなのかもしれない。

 「冬の贈り物だよなぁ…」

ふと、そんな言葉が浮かんだ、多分いつかどこかで聞いたJ-POPの受け売りだろう。吐き出した息はどこまでも白く透明で、月明かりに照らされた寝室の天井へ向かって、音もなく広がってすぐに消えた。

                               

                               そんな一月の私小説。