これから綴るおはなしは、ほとんど本当ですこし嘘。みえないことばのぼやけた輪郭にふれる、ありきたりな日々の私小説。毎月一回お届けします。


「ねぇ…15センチくらい積もったよ。」

 トイレから戻ってきて冷えた身体で布団にもぐりこんできた佳子がそうつぶやいた。

例年にないほどの暖冬だった今年、数日前には市内で早咲きの桜の蕾が膨らんでいるのを見かけたばかりだった。
入学式に雪が降ることもある飛騨地域のことだから、とりわけ驚いたわけではないが、かすかに残った意識のなかで、雪かき…面倒だなぁ…と思い。しばらく布団の中で朝のまどろみに身を任せた。

 最近は朝6時に起きるようにしている。不精な僕がなぜそんなに早く起きるのかと言えば、生活スタイルに変化があったからだ。まぁ、このことはまたおいおい話すことにして、とにかく、除雪をしなければと暖かい服を選び、長靴を履いて外に出た。

「……5センチ…くらいかな。」

 ざくざくと雪の上を歩いて確認してみる。春の雪らしい重たく、しっとりとした感触だ。彼女は夢でも見ていたのだろう。あるいは愛車の白いカングーの屋根に積もった雪を見たのかもしれない。もしくは家の裏に詰まれた大きな石の上を見たのだろう。ひとまず肩透かしに終わってほっとした。これならほおっておいてもすぐに解けてなくなるだろう。

玄関周りの雪をよけ、切れかかっていたストーブの灯油を補充して、薪ストーブに火を入れ、やっと椅子に腰をおろして溜まっている本に手を伸ばした。最近は、友人に薦められた本はとにかく目を通すことにしている。

内容が面白いかどうかは、たいした問題じゃない。大切なのは『感覚の共有』のほうにある。あの人がなにを考え、どう感じ、そしてどのように生きていくのか…

僕はいつもそれが知りたくて仕方がない。『当たり前』はけっして『凡庸であること』とは違う。個々の選びとった経験や思考の痕跡が、その人それぞれの独自の『当たり前』を形成している。それが愛おしくてたまらない。そんなことを考えていたら、ふと読んでる本の一文に目が留まった。

『あたえられたものをそのままのみくだす人間になりたくない。つねに新しく自分の今の状況のなかから考えていきたい。ああも言えるこうも考えられる、別の見かたふがありうるというその揺れを大切にする。…自分自身がなにかを求めていることが大切なのであって、すでにそれを得たと思ってしまうのはまずいんじゃないですか。』

哲学者、鶴見俊介の言葉だった。


『その揺れを大切にしたい』
本当にそうだなと思う。

正しさだけでは人は幸せにはなれない、幸せは雪のように降り積もったと思ったら知らないうちに溶けてしまう。どれだけ大切に握り締めてもそれは手の平の温もりで溶けてしまう。それをそのまま残そうと思うならば、どこまでも冷たく閉ざして体温を低く冷たく保たなければいけない。

だけど、そんなの全然幸せではないのだ。

『すでにそれを得たと思ってしまうのはまずいんじゃないですか。』

その一言が胸に残る。

いつもそばにいてくれるからこそ、ちゃんと関わっていかなければいけないことを、僕らはつい後回しにしてしまう。いけないことだと分かっていても時間は平等に過ぎていく。

気がついたら地面を覆っていた雪は溶けて、雪の隠されていた春の新芽が再び顔をだしている。

溶けてなくなっても、なにも残らないわけではない。

そう、小さくうなづいた。